人生の誰彼 12 東宝劇場
宮森氏の『一畑劇場』懐かしく読ませていただきました。私も宮森氏と同学年なので、松江市殿町にあった一畑百貨店内の映画館のことは記憶に残っています。
私が幼少の頃、ゴジラやガメラといった怪獣映画を見るために親に連れて行ってもらっていたのは駅通りにあった『東宝劇場』と『松江大映』(正式名称は違うかも)でした。現在ボートピア松江のある場所にこの二つの映画館が並んで建っていたのです。昭和40年代初め、テレビの急速な台頭により日本映画産業が斜陽を迎える一歩手前の、散り行く最期の花を咲かせていた頃のお話になります。
私は小学校3年生まで国鉄松江駅南口付近の大正町に住んでいたため、映画館は歩いてすぐに行ける距離にあったのです。大抵子ども向けの怪獣映画は夏休みや冬休みに公開されていたので、終業式の日に学校で配られる映画の割引券(これも時代ですね)を親に見せては「連れてっておくれよう」とねだったものです。
映画館の周りは多くの人たちで賑わっておりました。入口の上には大きな手描きの看板が飾られ、映画タイトルやキャッチが染め抜かれたのぼりが幾本も風になびき、道路に面した壁に設えた陳列窓には映画の名場面をコラージュした白黒のスチール写真が貼られ、怪獣映画の公開中は子どもたちが目を輝かせてガラスにへばりつく様に眺めていたものでした。そして親に連れられ中に入ると、そこはもう異空間。怪獣のいる非日常の世界にどっぷりと浸かることができたのです。いまも劇場に入る度に、あの頃の胸躍るワクワク感が蘇ります。
実は当時、東宝劇場の映写技師を父の同級生のTさんがやっていて、映写室に何度かお邪魔したことがあります。本当なら部外者立入禁止であったに違いありませんが、そこは昭和という時代の緩さでしょうか。おまけに上映が終わった怪獣映画のスチール写真も譲っていただくことができたのです。売り物ではなく、一般には出回らない筈の貴重な宣材は私にとって正真正銘のお宝でした。
あれから半世紀以上が経ちますが、あのときTさんから貰ったお宝は今も大切に保管してあります。時折引っ張り出して眺めては当時に思いを馳せます。今のように便利な世の中ではありませんでしたが、きっと良い時代だったのでしょう。
その後、これらの映画館は1970年代に入ってから姿を消し、父もTさんもすでにこの世の人ではなくなりました。全ては追憶と忘却の彼方です。