がらがら橋日記 一畑劇場

 

 松江駅の隣に移転する前、一畑百貨店は県庁や松江城のある殿町にあったのだが、かつてそこに映画館があったことを覚えているのは、ぼくらの年代までだと思う。閉館記念の無料公開を兄と見たのが最後で、記憶が正しければその時ぼくは小学4年生だったから、もう半世紀以上前のことになる。それまでにも何度か行っていて、幼い頃のぼくにとって映画といえば一畑百貨店だった。いちばん古い記憶は、ディズニーの『メリー・ポピンズ』だ。これは1965年の公開だから、4歳で見ていることになる。傘を広げて女の人が空からふんわりふんわり降りてくるところと煙突が並ぶ前で白い服を着た女の人とくすんだ色の男の人たちが踊っている二つのシーンのみが60年近くを経ても記憶の中に消えずにある。家に帰ってからもしばらく「チンチムリ、チンチムリ、チンチンチムリ…」と歌っていた。

 隣に母がいて、字幕を小声で読んでくれていたのを覚えている。その記憶はいくつか異なる時間が重なっているので、『メリー・ポピンズ』以前にも母はぼくを連れて一畑の映画館に来ていたのだと思う。残念ながら、母の読んだ字幕の一節など一切覚えていない。意味もまったくわからなかった。無理もない。映画はぼくに合わせたものではなく、母が観たいものだった。ぼくを一人で家に置いておくわけにもいかず、連れて行くほかなかったのだ。わかるはずもないのに字幕を読み聞かせている母を思うと何だか笑えてくるのだが、そんな言い訳めいたご機嫌取りでも十分効果があったらしく、ばくは毎回最後まで黙ってスクリーンを見ていた。

 少し前、母と同じ年回りの独居老人の手伝いをした。さっぱりとした空気をまとったまま、

「もう手術するのも面倒でね。癌なんて切っても切ってもできるしね。」

なんてことを言う人だった。庭にはびこった薔薇の片付けには閉口したけれど、作業していて楽しかった。

「もうどっこにも出られんやになってしまって。家で映画見るのが楽しみでね。」

と言うので、ぼくも映画好きだと応じると、

「あら、いい映画教えて。」

とねだるような調子で言った。ぼくが車椅子を押し、暗転した映画館の中で胸躍らせている老人の姿が思い浮かんだが、迷ううちに口に出す時を失った。

 離れて暮らしている間に、母は認知症を患い、ほどなく逝ってしまった。母が最後に映画館に行ったのはいつだったのだろう。ぼくは、連れて行って字幕を読んでやることなど一度も思いつかなかった。