がらがら橋日記 掃除

 

 10月を過ぎると草刈り草取りの仕事はめっきり減って、のんびり年の瀬と決め込んでいたら、掃除の仕事がポンポンと入ってきた。そういうものか。片づけて年を越したいが手伝ってもらわないとできないという人は当然いるだろう。

 瀟洒なマンションの独居老人から依頼があった。エントランスでインタホンごしに名乗る、自動ドアのロックが解除されてエレベーターに乗る、という10年に一度あるかないかの手順を踏んで訪れると、迎えてくれたのは半身に軽度の麻痺のある女性だった。室内はきれいに片付いており、掃除も行き届いていた。これ以上何をすることがあるのかと思えたが、頼まれたのは不要になったテレビ台の搬出と家具のわずかな移動だった。どれも中がきれいに空にしてあり、軽いものだった。拍子抜けするほど簡単な仕事だった。女性が自分のできることをぎりぎりまでしたのは明白だった。でも、人にはどうしても両手でないとできないことがあって、それだけはお願いすることにした、ということなのだ。この女性の矜持と他者を恃む諦念の境界がくっきり見えるようだった。依頼者の口から「迷惑かけて」などという言葉がこぼれ出ないよう、ビジネスに徹することにする。

 そうかと思うと、境界など無いに等しい人の依頼。何をしてほしいのか今ひとつ要領を得ない。どこから手を付けていいのかわからないということは、どこに手を付けても片付き始めるということで、やり甲斐がぎゅうと詰まっている。一人では手に負えそうになく二人で応援に入った。相方の女性は、「久しぶりの仕事です」とうれしそうだった。年末の応援に応じる人がなかなか見つからず、古いリストをひっぱり出したコーディネーターから電話が入ったのだった。

「六年ほど介護をしました。それまで毎日ヘルパーさんや看護師さんたちと関わっていたのが、義父を送ってしまうとパタッとそれがなくなって、まったく社会との関わりが無くなってしまいました。」

 ひきこもったままではいけないこともどうしたらよいかも分かっており、家族の勧めももっともなことばかりなのにずっと動けなかった。たまたま空気を吸いに浮き上がったときの電話だったか。

 ぼくが見なかったことにして先送りしていたトイレも彼女はさっさときれいにしていた。ゴミ入れから溢れかえったペーパーの芯もすっかりなくなっており、

「何とも思いません」と笑った。ぼくがトイレ掃除すると、亡父は「申し訳ないやな」と言うのが常だった。あれは、あれこれ思い、笑いもしなかった不孝者が言わせていたのだった。