ニュース日記 859 皇帝の国と天皇の国

 

30代フリーター やあ、ジイさん。中国政府がゼロコロナ政策を大幅に緩和した。病院や施設で隔離していた感染者を、軽症や無症状なら自宅で隔離するのを認めたり、PCR検査の陰性証明を多くの場所で求めなくなったり、予想外の方向転換だ。

年金生活者 緩めないと国民は何をするかわからないという脅えが共産党政権にはあったと推察される。

30代 ゼロコロナへの抗議行動は若者らを中心に北京などいくつもの都市に広がり、習近平の退陣を求める声も聞かれた。マスメディアは「天安門事件以来」と報じた。

年金 今回の抗議行動と、天安門事件に行き着いた1989年の民主化運動は、ともに自由を求めた点で共通している。違いは後者がまだ手にしたことのない自由を要求したのに対し、前者はすでに手にした自由を奪われることへの抵抗だというところにあった。

言い換えれば、かつての民主化運動が産業資本主義の段階の運動だったのに対し、ゼロコロナへの抗議行動はポスト産業資本主義の段階の運動だったということだ。ゼロコロナへの怒りは資本主義の高度化が国民にもたらした消費の自由、職業選択の自由、移動の自由といった、主として経済的な自由を奪われることへの怒りだった。

ポスト産業資本主義の社会でそれらの自由を奪われることは、広がった自由が元の小さいサイズに戻るだけでは済まない。生活、生存が脅かされる。それらの自由なしには生活、生存が困難な仕組みの社会になってしまっているからだ。

30代 日本のマスメディアでは、共産党政権は自らの誤りを決して認めないから、ゼロコロナ政策はやめないだろうといった予測が報じられた。

年金 そうした予測は、いったん決めたことは状況が変わっても変えようとしない日本の組織の体質を投影した見方のように感じられる。リスクがインフルエンザ以下に低下したコロナをいまだに結核やSARSと同等の2類相当扱いしているのはそうした体質のあらわれだ。

かつての中国の民主化運動が「制度としての自由」を求める運動だったのに対し、今回の抗議行動は「生活上の自由」を求める運動だった。前者が共産党1党支配の否定につながる要求を掲げていたのに対し、後者は体制の否定ではなく政策の否定にとどまった。だから、政権も譲歩しても自らの正統性が損なわれることはないと判断したのだろう。

30代 日本で中国のような転換ができないのはなぜなんだ。

年金 決めたことを変えるには変える力を要する。中国がゼロコロナを変えることができたのは、いつでもそうした力を振るうのをいとわない国だからだ。それは国家原理を貫くことを意味する。国家の国家たるゆえんのひとつは強制する力を振るえるところにある。中国はその力が「皇帝」に集中した「帝国」であり、「皇帝」たる習近平の決断ひとつで方向転換することができる。

 日本政府がコロナ政策を肝心なところで転換できないでいるのは、国家原理を貫くことを当たり前と考える習慣を持っていないからだ。歴史をさかのぼると、国家のない時代が長く続き、そのときに培われたメンタリティーを日本人が今なお保持し続けていることにそれは由来する。

30代 新型コロナウイルスに対して、日本国民は政府による「強制」ではなく「自粛」によって自らの行動を制限してきた。

年金 国家が誕生する以前の社会で支配的だった互酬の原理が働いた結果と考えることができる。「自粛」は、他人に迷惑をかけたくない、他人に借りをつくりたくないという心理に根ざしている。それは何かを贈られたり、してもらったりしたら、お返しをしないではいられない互酬の原理にもとづく。これは国家のない氏族制の時代、日本なら縄文時代に支配的な原理だった。それが1万年も続いたため、この原理が日本人のメンタリティーに深く刻み込まれ、いまなお行動を左右していると考えることができる。

30代 日本でも国家が誕生してだいぶたつのに。

年金 天皇制が互酬原理を温存する役割を担ってきた。縄文時代の終わったあとに成立した大和王権はこの原理を支配の方法として採り入れた。大和王権は日本列島に初めて誕生した統一国家だ。国家である以上、それは互酬ではなく、強制を原理とするはずだ。ところが、この王権は群立していた小さな国家との間に互酬の関係を結ぶことによって支配を広げていった。吉本隆明がそれを指摘している。

 それによると、大和王権は自らのもつ宗教や法、習慣を、群立する小国家のそれと交換することによって、統一国家をつくった(「敗北の構造」)。言い換えれば、王権の側が小国家の信仰する神を拝み、その法や習慣を尊重したので、小国家のほうもお返しに王権側の神を拝み、法や習慣を尊重せざるを得なくなった。それは信仰と遵守の贈与であり、その返礼を意味する。

 その結果、日本人は国家運営の多くが強制よりも互酬によってなされていると考えるようになった。象徴天皇制への圧倒的な支持はそれを物語っている。2019年の毎日新聞の世論調査では、「現在の象徴天皇制でよい」が74%だった。