専業ババ奮闘記その2 迫りくるコロナ①
3月に入った日、県内のコロナ感染者数が130人になった。その後も百人前後が続く中、娘から電話が入る。寛大の通う学校の1年から3年までが学年閉鎖になったという。急なことで休めず、玉湯に来て欲しいと言うので、残り物のおかずをタッパーに詰めて向かった。
娘と実歩、宗矢を送り、寛大とまずは宿題。そのあと、自分で材料を探して銃のようなものを作っていた寛大に、「天気がいいから、10時になったら外へ出ようや」と誘う。「えっ、先生が外出たらいけんって言ったよ」と返すので、「庭ぐらいいいわね」と連れ出す。縄跳びをしたり、裏山で竹の根っこをほじくったりしながら、小一時間外で過ごした。
昼食後は、何を思ったか、ゴーグルやシュノーケルを付け、部屋で水中探索をしていた寛大。娘から電話があり、寛大の抗体検査をするよう言われたという。早めに仕事を切り上げて帰った娘は、実歩と宗矢を置き、寛大を検査に連れて行った。実歩は縄跳び、宗矢は庭を歩きながら、「はっぱ、はんぶん」「むし、おった」「ちゅんちゅん、おった」「ぶーぶー、いっぱい」としゃべり通し。言葉を覚え、発することが楽しくて仕方ない様子だ。
翌日も玉湯行き。いつものように娘、実歩、宗矢を見送り、寛大と宿題をしたり遊んだりして一日過ごす。忠ちゃんが先に帰ってきて、「検査が一杯で、日曜日に結果が出るらしい」と言う。4月に保育所関係者からコロナ感染者が出て、実歩も宗矢も抗体検査を受けているが、結果が分かるのは早かった。あの時は、今ほど感染者数が多くなかったのだ。
翌日曜日の午後、寛大の抗体検査の結果は陰性だったとの連絡が入る。けれども、学校は水曜日までお休みとのこと。月曜日は娘が半日ドックなので、午前中だけ寛大といてくれと頼まれると、「俺が行くわ」と、珍しく夫が買って出た。何もしないことに気が引けたのかもしれない。火、水は娘と忠ちゃんで何とかすると言うのでほっとしていたところ、水曜の午後、今度は実歩のクラスの関係者に感染者が出たとのこと。実歩も抗体検査を受け、今週一杯クラスが閉鎖だという。すぐに、ライブラリーの図書当番を交代してもらうよう連絡を入れ、手話教室の代表には欠席の旨を伝える。これまで、恐怖を感じながらも、まだ距離を感じていたコロナが、刻々と身に迫ってきている。