がらがら橋日記 白菜

 

 いっぺんにできる野菜をどうするか。困る、というほどでもないが、家に口が二つしかない以上、どうにかしないといけない問題の一つである。遠くにいる家族に送る、知人にあげる、いずれも喜んでもらえるのでうれしいのだが、送料を考えるとまったく割に合わないのと、もらう側の事情も考えねばならぬことなど思うと、やはりできたものは自分でどうにか工夫して食すというのが基本と考える。

 11月は、思いのほか好天続きで、畑に行くたびにぐんと成長している野菜に驚かされた。モンシロチョウが春を喜んでいるみたいに舞っている。抜けるような青空とポカポカ陽気に産む気満々のようだ。

 白菜が完成形になってきた。だが育てるのは初めてなので、どのタイミングで収穫したものかわからない。こんな常識的なことを、知らないと自覚するのは案外におもしろく、「あんたそんなことも知らんのか」という優位を相手に感じさせつつ謙虚にうかがうときの関係性が心地いい。たいがい教えてくれる人は、こういうときにうんと親切である。

 時々立ち寄って、ひとしきりしゃべって帰る近くのおばさんを助言者と定める。聞くと、白菜の結球した部分を上からあるいは横から押さえてみて堅くしまっていたら収穫できるということだった。押さえてみるとトゲが刺さって痛かった。簡単に食われまいとする白菜の抵抗に遭ったのだ。おばさんは、ぼくの手元を見ながら、「まんだ早いやな。もうちょんぼ先で取ーない」と言った。

 12月になると、白菜はそれまでの弾力が消えてがっちりとしたたたずまいになり、次々と収穫できる状態になった。あれだけモンシロチョウが気持ちよさそうにしていたので、当然外から内に向けてとりどりの穴が空いている。見つける能力は、警戒心に比例しており、虫を極度に恐れる妻が次々と指さし、ぼくが捕殺するという作業をしばらく続けた。ずっしりと重い白菜を持ち帰ると包丁で縦に割り、水のしたたるそれを、ベランダに吊した網に並べる。網の下のコンクリートは芯から噴き出してくる水であっという間にしみが広がっていく。少しでも旨い白菜を食すためには、収穫直後に天日で乾かす、というのが今のところのぼくの最有力仮説だ。保存も利くし。

 おとついは、一日干した白菜の四分の一を塩を振った豚肉といっしょに芯ごと入れてコトコト煮た。昨日は、やはり芯といっしょに黄色い部分をだし汁で煮てすり流しにした。どちらも塩だけで十分に旨かった。

 白菜は芯を使えばそれだけで旨い。下手すると、ぼくはそれを知らないまま死んでしまうところだった。