ニュース日記 857 世界トイレの日

  

30代フリーター やあ、ジイさん。11月19日は「世界トイレの日」だった。日本ユニセフ協会のウェブサイトによると、世界の全人口80億人のうち20億人がトイレを使えない状態にある。生きていくうえで最も切実なことのひとつである排泄の問題がなぜかあとまわしにされている現実がある。

年金生活者 排泄が性とほとんど一体といっていいほど密接な関係にあり、タブー視されがちだということが要因のひとつと考えられる。フロイトは糞便の排出が肛門に性的な快感を呼び起こすと考え、それが成長の過程で顕著になる時期を肛門期(1~3歳)と名づけた。

 この快感は排便が母胎の楽園への帰還を代替することに由来すると私は考えている。肛門期の前の段階の口唇期(0~1歳)では母の乳房を吸うことが母胎の楽園への帰還を代替する。口も肛門も身体の穴である点で共通しており、それぞれの穴は楽園への通路の代わりとなっている。

30代 ふたつの穴はだいぶ違う。

年金 口唇期の乳児は自分の身体と母の身体の区別がつかない。自分の口が母の口でもあり、それが母胎の楽園への入り口とみなされる。母の乳房は乳児自身のものでもあり、それが自分の口=母の口を通って楽園を目指す。この時期は授乳中以外でもおしゃぶりをくわえており、楽園ヘの帰還の代替行為はほとんど常時続いている。

 肛門期はその行為が常時ではなくなり、便意を催したときだけに限られる。おそらくそのぶん快感は濃縮されるはずだ。この段階では母と自分が区別されるようになる。だが、まだ未分化なところが残っていて、排出された糞便は自らの身体から出たものでありながら、母胎の楽園の代替物とみなされる。乳幼児は排出時に自分自身が肛門を通過しているような感覚を持つに違いない。

30代 ジイさんの排便は順調かい。

年金 排便が順調かどうか、私は人並み以上に気にしている気がする。これは私の強迫性障害の傾向と関係があるに違いない。

 強迫性障害の症状の代表的なものとして、戸締まりをしたか気になって何度も引き返したりする「確認行為」と、手洗いを繰り返したりする「不潔恐怖」がある。どちらも幼児期の過剰な排泄の訓練に由来する。排便はトイレ以外でするなという掟を突きつけられ、それを破ると叱られる日々を送れば、長じてからも自分の行動が掟に反していないか絶えず「確認」しないではいられない心的傾向が形成される。糞便を汚いものとして遠ざけるようにやかましく教え込まれれば、汚れを恐ろしいものと思う傾向が培われる。私にもいくぶんか思いあたるところがある。

30代 NPO法人「日本トイレ研究所」代表理事の肩書を持つ加藤篤という男性が朝日新聞の別刷り「be」(11月5日)で紹介されていた。排泄とトイレを「愛のある時間と空間」に変えるのを使命とし、子供たちがうんちを恥ずかしがらないようにする啓発活動や、災害の避難所や公園のトイレを掃除する活動を続けているそうだ。

年金 フーコーの言う「生権力」の、より洗練された姿をそこに見ることができる。

幼児が親から受ける排泄のしつけは、人間が生まれて初めて経験する掟との遭遇、言い換えれば権力との遭遇だ。肛門に性的な快感を与えてくれる糞便を汚らわしいもの、恥ずかしいものと教え込まれ、性をタブー視し、恥ずかしいものと感じるようになる芽が育っていく。

 幼児に対する排泄の訓練は、フーコーの言う生権力の発現に該当する。近代に特有の生権力にはふた通りのあらわれ方がある。ひとつは軍隊や工場、学校などで行われる規律訓練であり、もうひとつは統計にもとづいて人口などをコントロールするやり方だ。排泄のトレーニングは前者に該当する。

 生権力は、逆らう者を殺す近代以前の権力と違って、人を生かす権力だが、逆らう者には罰を与える。トイレの訓練でも親は粗相した子を罰する。こうしてトイレは汚く怖い場所として記憶される。

30代 先進国のトイレは清潔になり、快適さを競うようになった。

年金 資本主義が消費中心のシステムに変容し、トイレのイメージを一変させた。

 工場、学校、軍隊での規律訓練は、生権力が経済的には第2次産業中心の産業資本主義の段階、政治的には国民皆兵の国民国家の段階において成立した権力であることを示している。現在の先進諸国はすでにその段階を過ぎ、ポスト産業資本主義の段階にある。この段階では消費がGDPの最大部分を占める。

 それまで主として生産の現場にいる労働者をターゲットにしていた生権力は、現場を離れた労働者、すなわち消費者をおもな対象とするようになった。現在の消費者は消費支出の過半を選択的消費に充てることができるほど生活水準が上がっている。あからさまな罰よりも、好みや快適さによって動かされる。

 それが人間の切実な営みである排泄にあらわれている。きれいなトイレを用意し、快適な排泄を手助けすることが生権力の目標となる。それによって、社会の秩序を維持し、公衆衛生を向上させる。それは進化した生権力であり、快適な権力と呼ぶことができる。