専業ババ奮闘記その2 冬⑤
1月13日、島根県内の新型コロナウイルス感染者数が100人を超えて驚いていたのが、17日以降、日々100人をはるかに上回るようになった。その後も100人以下の日もあるものの、かなりの感染者が出るようになる。いわゆる第6波で、1月9日から3月21日まで、まん延防止等重点措置が全国でとられるようになった。
そんな第6波に突入した1月23日、義母の一周忌の法要を我が家で行うことにした。朝から仏壇の掃除をし、仏間と義母の部屋の間にある襖をはずす。ご住職を入れて大人(高校生含む)10人、子ども4人が集まる。なるべく間隔を空けて座ってもらおうと、座布団を離して置く。茶菓子の準備などをして待っていると、ピンポンが鳴った。すぐに玄関に出、手にアルコールスプレーをしてから入ってもらう。義姉や姪たち、その子ども、娘一家が、皆マスク姿で仏間に入っていった。ご住職が来られ、お茶を出しているとまたピンポン。仕出し屋さんだ。荷物運びや支払いなどばたばたし、仏間に戻ると読経は始まっていた。寛大も実歩も静かに座っている。宗矢はお母ちゃんの膝に乗ったり、私のところへ来たり。時折声を出すが、まあ許せる範囲だ。お説法では義母のことより、その連れ合いがご住職の住まう地で尽力した話が主で、初めて聞く話だった。
法要の後、当初は会食をと考えていたが、コロナまん延防止等重点措置中なので、仕出しの折を持ち帰ってもらうことにした。一挙に静かになり、夫と息子と3人で昼食。息子はすぐに遊びに出て行き、私と夫は片付けの後、墓参りに行った。
数日後の夕食時、「今日、祖母ちゃんの誕生日だね。生きてたら102歳か」と話すと、息子が、「わっしぇた(忘れた)」と義母の真似。それからしばらく、義母の話になった。「せれしぇんけん(急ぎはしないから)って言って、テーブルの上にあるもの、つまんで食べてたな」「いつからか、有難うが『めんたし』になったよね」などなど。法事の日、いつもは会食であれこれ偲ぶのに、それができなかったので、ようやく供養できた気がする。「一年、あっという間だったな」夫は言うが、私には相槌が打てない。義母が亡くなったあとずっと、生き死にというものが頭の中にくすぶり続け、前に進んでいる気がしないのだ。