専業ババ奮闘記その2 冬③
餅つきの日、まだ腹の痛みは治まらない。うつる病気だったらいけないので、一日中マスクをしたまま、寛大を迎え、餅つきを手伝わした。日にち薬か、翌日から徐々に痛みは少なくなり、休憩しながら何とか大掃除やお節の準備をすることができた。
そうして迎えた大晦日の午後、長男が帰って来た。新型コロナウイルスが日本に上陸する前の夏以来だから、約2年半ぶりだ。その間、神戸から小田原に転勤になり、さらに半年前から御殿場の事務所に移っている。幸い、御殿場事務所には、神戸で仲良くしていた先輩がいるうえ、上司にも恵まれ、すんなり馴染めたとのこと。可愛がってもらった義母の最期に立ち会えず、コロナ禍のため葬儀にも帰れなかったことをひどく口惜しがっていた。
夜は、二男の好物の照り焼きチキンと、長男極好きのキムチ鍋。食後は長男と二人、たまたまつけた紅白歌合戦に出てくる懐かしい顔ぶれに、思い出を重ねて語り合った。
新しい年が明けた。昼に娘一家がやってくることになっている。一年前の正月は、長男は帰省できず、ショートステイで療養中だった義母が一時帰宅をし、娘一家と共に昼を過ごした。かなりの積雪の中、難儀して車椅子の義母を送り迎えしたっけ。今年は雪が全くない。
午前中、長男が職場の人への土産に出雲そばを買いに行くというので付き合う。箱入りや袋入り、それぞれ何袋、何十袋と籠に入れていく。大袋5袋を車に積み込み、帰ってすぐに昼食の準備。いつものお節に加え、長男からのお節もある。コロナ禍で職員旅行が中止になった代わりにお節を配られるのだ。去年は和風だったから今年は洋風を頼んだところ、解凍が必要だったり、タレをかけたり、結構面倒だった。
昼前、娘たち一家5人がやってきた。宗矢が固まってしまって、私の膝から離れようとしない。それでも、食べ物はコンスタントに口に入れていた。そのうち長男に慣れ、帰るころには膝の上に乗っかるまでに。後日、娘が長男と宗矢のツーショットをプリントアウトすると、その写真を放さず、ついには破れてしまうほどだったという。
夜は長男と二人であれこれ話す。家を離れて17年。その間、心配したことも多々あったけれど、今は芯のようなものが出来てきた気がする。仕事柄、命だけは大切にしてほしい。