ニュース日記 853 「帝国」の復活

 

30代フリーター やあ、ジイさん。習近平の総書記3期目入りが決まったとき、中国のIT関連の株価が軒並み下落したと報じられた(10月26日朝日新聞朝刊)。

年金生活者 これまで共産党1党独裁を正当化してきた経済の発展を犠牲にしてでも、習の1人独裁、言い換えれば「皇帝」化を進めたほうが国民を支配しやすい、と習のまわりも判断したと理解することができる。

 「改革開放」は国民に経済的な自由、すなわち消費の自由、職業選択の自由、移動の自由などを与えた。その結果、国民は国家に寄りかからなくても生活していけるという自立意識を持ち始めた。そんな国民にさらに自由を与えれば、ますます国家を頼りにしなくなる。独裁者にとっては都合の悪いことだ。

 これまでは経済成長の速度が速かったため、国民は将来に期待を持ちやすかった。だから共産党を支持してきた。これからは成長が鈍化する。経済だけでは共産党への支持をつなぎ留められなくなる。国家の強権が必要になる。「皇帝」の権威を示し、「帝国」の体制をさらに強固にしなければならない。習はそう考えているに違いない。

30代 経済の発展が民主化を促すと思われていたのに、逆に民主主義を遠ざけるばかりだ。

年金 近代は「帝国」を衰退させたあと、復活させた。「国民国家」という「平等」のシステムが社会主義国家の形を取って「帝国」としてのソ連を成立させ、「グローバル資本主義」という「自由」のシステムが「帝国」としての中国を膨張させた。これは近代が前近代の残滓を一掃できなかったということとは違う。近代が前近代を活性化させ、それを利用している、と言ったほうが真実に近い。

近代のシステムの土台をなす資本主義は、労働者を搾取の対象としてだけでなく、生産した商品の買い手として必要としている。搾取するだけでは、労働者は商品を買えなくなるから、富を再分配しなければならない。そのためには社会保障政策が必要だ。それに向けて国家の尻をたたく役回りを資本主義は「平等」の旗を掲げるソ連に与えた。

 第1次世界大戦ですっかり弱った「帝国」としてのロシアが社会主義を制度化することによって新装の「帝国」として復活したのがソ連だ。富の再分配には「自由」のある「国民国家」よりも強権的な「帝国」のほうが適している。西側の「国民国家」は対抗上、社会保障政策を拡張せざるを得なかった。ソ連「帝国」と西側陣営が戦った東西冷戦は、核による威嚇力と抑止力を競うと同時に、自国民をどれだけ豊かにしたかを競い合う戦いだったからだ。

30代 今の中国も新装の「帝国」というわけか。

年金 現在の資本主義は新たな利潤の源泉を求めて社会のデジタル化、AI化を進めている真っ最中だ。それには国民を全員そのシステムの中に組み込み、ひとりひとりの振る舞いを追跡できるようにするのが一番いい。その推進には富の再分配の場合と同様、強権的な「帝国」のほうが適している。プライバシーを重んじる西側諸国は遅れを取らざるを得ない。そこで資本主義は「帝国」の中国を先行させることによって西側の対抗心を起動させ、目的を達成しようとしているように見える。

30代 まわりくどいことをするもんだ。

年金 古い時代に支配的だった社会の基本システムは、時代が新しくなったとき、消滅するのではなく、あるいは残滓としてだけ残るのではなく、新しい時代に必須のシステムのひとつとして存続する。それを明らかにしたのが柄谷行人の交換様式論だ。

 柄谷はこれまでの歴史に登場した交換様式をA(互酬)、B(再分配)、C(商品交換)の3タイプに分類した。それらはA→B→Cの順に成立したが、成立したあとは新しい様式が成立しても消滅することはなく、ただ社会の支配的な交換様式でなくなるだけだ。現在のようにCが支配的な交換様式になっても、Bは国家によって担われており、もしそれがなければCの作動も妨げられる。

 Aは現在もとのままの形では家族など限定された場でしか作動していない。だが、ネーション(国民)という「想像の共同体」として、Bを担う国家とCの作動する市場にとって不可欠の交換様式となっている、と柄谷は考える。

 個人に置き換えて言うなら、たとえば後期高齢者の私の中に、泣き叫ぶ幼児が、甘いものを欲しがる小学生が、大人のまねをしたがる中高生が、キレてはつまずく青年が、ものがわかってきたとうぬぼれる中年男が、時どき心と体をもつれさせている老人が雑居し、それぞれの存在を主張しながら相互依存しているのと似ている。

 産業資本主義の発達は「国民国家」を発達させ、第1次世界大戦で古くからの「帝国」を衰退させた。帝政ロシアのロマノフ朝は亡びた。だが、ロシアはソ連の成立によって新しい形の「帝国」として復活した。現在のポスト産業資本主義は「国民国家」の境を越えて経済のグローバル化を進展させ、「帝国」としての中国を巨大化させた。近代的な「国民国家」の誕生は、前近代的な「帝国」の退場を意味するのではなく、逆にそれを勢いづけている。