がらがら橋日記 柿
柿が色づいてきたけど取りに来ませんか。と奥出雲から便りが届いた。差出人のTさんは、ぼくの柿好きをよく知っていて、これまでも何度も取らせてもらっている。二つ返事で行く日を伝えた。
「まいがあ(うまいよねえ)。果物ん中で、柿がいちばんまいがあ。」
子どものころ、晩秋ともなると、夕食後、母は柿の皮をむいて兄とぼくに食べさせながら、そう言うのが常だった。甘みも酸味ももっと強い果物がいくらもあるので、そうかなあと疑いつつ相づちをうっていた。小学校四年生の時、道徳の勉強で副読本を読んでいたら、何だか似たような場面が出てきた。おじいさんと孫が柿を前にして話している。
「おいしいね。おじいちゃん。」
「そうだなあ。柿はなんと言っても果物の王様じゃからな。」
これは母に伝えなくては、と家に帰るとすぐに言った。母は我が意を得たりという表情で、
「そげでしょう(言ったとおりでしょう)。」
と言った。酸っぱい果物を好まなかった母とは異なり、ぼくはどんな果物でもおいしいと思うのだが、柿のうまさは年を取るにつれて増していくように思える。まだそんな場面は訪れないが、副読本みたいに孫に問われれば、柿を王様に譬えたいと思う。
柿が好き、というのは、柿の色が好きというのもある。熟れるに従って緑や黄色をところどころに残しながら朱が刺してきて、やがてそれが自ら光りでもするように色を強め、最後には徐々に光量を絞りながら深紅へと移ろっていく。最もエネルギーに満ちたときの、柿色としか言い様のないあの色がやはり好きだ。登山用のザックにその名もパーシモンを見つけたときは、柿色というだけで迷わず買った。
今年は生り年のようで、並べたバケツも籠もみるみるいっぱいになっていった。
「去年は辛いことばかりが重なって、柿が実を付けていることさえわかりませんでした。実が小さいのはそのせいかもしれません。」
ぼくが次々と落とす実を拾いながら、Tさんは言った。幸せ色とでも呼びたいような柿色が心にとまらなくなる時がこれから幾度かぼくにも訪れるのだろう。
どっさり持ち帰った柿を毎日食べている。生食だけでは食べ切れないので、サラダに酢の物はもとより、干し柿、柿プリン、柿ポタージュ…と楽しんでいる。意外なのがプリンで、牛乳と混ぜて冷やすだけで味や食感がプリンそのものになる。レシピご希望の方はお知らせください。ネットで見つかりますが。