がらがら橋日記 東京公演

 

 「もうメンタルがもちません。」と、高尾小学校のK教諭が電話口で笑わせる。というのも、子ども落語が博報賞を受賞したのに続いて、もう一つ某大企業の財団が主催する教育賞の選考にかかっているのだそうだ。その連絡が入る前日には、博報賞のお祝いを兼ねた東京公演が決まった。その経緯にも心揺さぶる出会いや多くの厚意が重なり合っていて、K教諭の先の言葉もまんざら冗談ばかりではなさそうだ。選考の結果がどうあれ、高尾の子どもたちと職員、保護者や地域の人たちの10年のじたばたが様々な人たちの心にとまり、新たな広がりを作り出している。

 先週書いたとおり、ぼくが高尾小学校にいたのは、四年間だった。最後の年は今思い返しても笑ってしまう。何せ残留した職員はぼく一人で、ほか4名、校長、教員、校務技師すべて異動だったのだ。離任式、着任式は一人何役もせねばならず、校歌の伴奏こそCDに任せたものの式場を一人パタパタした。大真面目にやったが、端から見ればどうしたってドタバタ喜劇だ。幸い子どもたちはそのおかしさに気づかず、最後まで真剣な面持ちでいてくれた。こんなことがまかり通り、どうにかなってしまうのも極小規模だからこそだ。職員総入れ替え、それがどうした、と泰然としていてもよかったのだが、気心の知れた仲間たちには「あり得んだろう、ふつう」と毒づき、同情を買いに走った。他校の教員たちはおしなべて「大変だなあ」などとこちらの意図を酌んでくれるのだが、どこか半笑いで、要するに他人事なのだった。

 まあこんな異動は、煮るなと焼くなと好きにせやと言ってるようなものだ。で、実際そうなった。赴任してきたK教諭がおもしろがって全校落語を打ち出したのだ。それまでは、ぼくが担任している中学年のクラスだけでやっていたのだが、あちこち呼ばれてご馳走やお菓子にありついているのを他のクラスの子どもたちもK教諭も黙って見過ごせなかったらしい。1年生から6年生まで全校で落語をすることになって、一気に活気づいた。新しい箱ができて、そこに何を入れるか考えるというたいそうおもしろい一年間だった。

 一人で送り出した離任式から一年後、ぼくは一人で送り出された。その後も全校落語はK教諭を中心に福祉や防災防犯も取り入れてどんどんユニークになっていった。偶然ある温泉施設で子どもたちの落語を見た大学教員の研究対象になり、それが縁で3年前には東京公演を行った。来る12月17日は、二度目の東京だ。どこにどうつながっていくのかわからないものよ、と思う。「意外」と「おもしろい」は、けっこう近いところにあるらしい。