専業ババ奮闘記その2 秋⑥
10月の後半、ようやく息子が第一回目のワクチン接種を受けた。ところが、夜熱を測ると37度5分あり、「二回目はやめる」などと言っている。コロナ感染者は、オリンピック後に拡大したが、県内では9月の半ばごろから落ち着き、稀に二けたにはなるものの、大概一けたかゼロに落ち着いている。このまま収束してくれればいいのだが。
続いていた残暑も、10月後半になると気温がぐっと下がり、慌てて居間に炬燵を出した。寒さ対策を終え、散歩に出かけると、途中ズボンのポケットに振動があり、携帯電話を取り出すと、夫からだ。宗矢が熱を出したので保育園に迎えに行ってくれと娘から連絡が入ったとのこと。一人では不安だからついてきてくれというので、近くにある店に寄って拾ってもらって保育園に向かった。真っ赤なほっぺの宗矢が先生に抱かれ、笑顔で両手を差し出した。五時前に娘が寄り、小児科へ連れて行く。明日は宗矢の子守だ。
翌朝、昼食の準備まで済ませて玉湯に向かう。寛大を送り出し、娘は実歩を乗せて保育園と職場へ、私は宗矢を乗せて我が家へ。家に着くと、宗矢はピンポンを押してにこっと笑う。寛大も来る度にピンポンを押していた。することが寛大とよく似ている。コンセントに始まり、テレビ、ラジカセ、受話器など、電気製品をよく構う。薬が効いているのか機嫌はよく、ラジカセでCDを聞いたり、お絵かきをしたり、絵本を読んだり、型はめをしたり。その間、「ばば」と呼び、絵本の絵を指して、「わんわん」「ぶーぶー」「はっぱ」などと言う。「あっち」と指さして移動したり、歌を歌うと語尾の「ねー」など歌ったりもする。熱が上がらなくて安心したけれど、食欲は今一つ。口の中の右の方を何度かいじっていたし、涎がいつもより余計出るので、口内に何か出来ていて、それで食べにくいのかもしれない。
夜も熱は上がらず、翌日は保育園に通園した。次の日は土曜日。玉湯に行くと、宗矢はすっかり元気になっていた。この日は寛大の参観日で実歩と宗矢でお留守番。娘と寛大が帰ってきて、皆で昼食を摂り、宗矢を寝せた後は、寛大と実歩とで油粘土。寛大の粘土作品を見て、実歩もやりたがったのだ。高齢者の私も、童心に返り、懸命に粘土をこねていた。