がらがら橋日記 中海の畔にて⑤
植物に対して、ぼくはずっと冷淡だった。小学生のとき、理科の学習や購読していた雑誌の付録などで植物を育てざるを得なくなったことがあるが、どれもあっという間に枯れた。
長じて学校の教員になったときも、教室に飾られた花にまったく興味がなく、花係の子どもがぼくと同種だった場合、気がつくと見る影もなく茶色くしおれているのだった。保護者からプレゼントされた盆栽もどうしてよいかわからず、水もやらずに放置していた。枯死寸前で校長に見つかり、こっぴどく叱られた。叱っただけではダメだと見抜いた校長は、盆栽を校長室に持ってくるように言い、二度と教室に戻されることはなかったのだが、今考えても校長の判断は正しかった。似たようなことは、その後も何度かあった。別の校長にも叱られた。「命を大切にするってことなのだ」と説かれると、その通りだと思う。贈られれば贈り主の真心なりメッセージが込められているのだと思う。しかしそれも一時で、すぐに関心が薄れ、見れども見えずの状態になり、またぞろ植物の悲惨な末路を目にすることになる。興味がないというのは、残酷だ。散々非道を重ねてそのことに気づいてからは、自分が育てる状況になることを極力避けた。教室では、よほど使命感とやる気を持った児童がいない限り、花係は置かなかった。
父は盆栽の鉢をいくつも並べて常に構っていたし、母は小さな庭にあれこれ植えて育てるのを楽しんでいた。ぼくがまったく関心がないことを二人とも知っていたので、親子の間で植物を話題にすることは皆無だった。両親が亡くなって、二人が育てていた庭木も鉢植えもすべて処分してコンクリートを敷き、草も生えぬようにしたのだが、皮肉なものでそのころから植物とのコミュニケーションに関心が向くようになった。きっかけは特にない。殺風景を嫌って置いた鉢植え、料理に使おうと試みに買ったハーブ苗、無償で提供してもらった畑の作物たち、自分から植物に関わることが続いたせいかもしれない。
Mさんの畑には、野菜だけでなく花もある。
「あんたんとこ仏さんあーかね。墓の花、買わんでもいいけんね。ここにあーやつ持って行きない。」
そう言ってMさんは、咲き始めた菊を何色か選んで束にし新聞紙に包んでくれた。摘み取るときの眼差しが笑みを含んで温かい。
「こうして、育てた野菜や花をかまっちょうとほんとに楽しい。」
通い合っているという手応えが暮らしを彩る。植物相手にそんな関係性を作れたら、確かに幸せだ。