ニュース日記 847 「帝国」の原理
30代フリーター やあ、ジイさん。入管収容施設で亡くなったカメルーン人男性をめぐる訴訟の判決で水戸地裁が、入管職員には救急搬送を要請すべき義務があったのに怠ったとして、国に165万円の損害賠償を支払うよう命じた。男性は「死にそうだ」とうめき声をあげていたという。なぜ入管はこんなに冷酷なんだ。
年金生活者 国家と国家の関係を上下の関係としてしか扱えない前近代的な「帝国」の原理が背後にある。
全国の入管施設では2007年以降、17人の外国人が病気や自殺で死亡している(9月17日朝日新聞朝刊)。昨年3月に亡くなったスリランカ人女性のケースをはじめ、国の責任を問う複数の訴訟が提起されている。
長いあいだ「帝国」としての中国 の「服属国」だった日本は明治維新を境に、逆に自らが「帝国」となって中国を「服属国」化しようとした。しかし、別の「帝国」であるアメリカに阻まれ、戦後はその「服属国」となった。つまり、国家と国家の関係を常に上下関係として扱い、対等な「主権国家」どうしの関係としてとらえる経験を一度もしていない。その経験の欠落が入国管理の現場で集中的にあらわになっている。
30代 なぜ「帝国」の原理が、基本的人権の尊重をうたう新憲法のもとでも残っているんだ。
年金 国家は単に共同体の規模が大きくなってできたものではない。ひとつの共同体がもうひとつの共同体を支配したときに成立する。共同体のあいだに上下の結びつきができたとき国家は発生した。柄谷行人は「国家は他の国家に対して存在する」ことを強調する(『世界共和国へ』)。それは成立した国家にだけ言えるのではない。国家の成立過程そのものが「他に対して存在する」過程をなしている。共同体が他の共同体に対して上下の関係として存在するようになったとき、国家は成立する。やがて世界の諸国家が「帝国」か、その「服属国」かのいずれかに属することになったのは必然と言える。
17世紀の欧州諸国は長い宗教戦争を終わらせるために、国家間の関係を対等な「主権国家」どうしの関係に組み替えるウェストファリア条約を結んだ。「帝国」は解体され、初めて上下の関係ではない国家間の関係が成立した。しかし、地球上の大半の国家は同様の経験をしていない。中国やロシア、アメリカなどの大国が「帝国」の原理を行動の物差しにし、日本を含め多くの国が大なり小なりそれに従っている。
30代 入管を見ると今の日本も「帝国」に見える。
年金 沖縄県知事選で米軍普天間基地の辺野古移設に反対する玉城デニーが再選されたことについて内閣官房長官は「辺野古移設が唯一の解決策」という政府の決まり文句を繰り返した。それはアメリカに見捨てられたくないという恐怖心が言わせる呪文のように聞こえた。アメリカという「帝国」の「服属国」としての恐怖心と言っていい。日米両国は形の上では対等な主権国家として軍事同盟を結んでいる。しかし、実態は国家間に上下の差を設ける「帝国」と「服属国」の関係にある。
「主権国家」がそれぞれ自らの足で立つ存在という建前をとっているのに対し、「帝国」は「服属国」をつっかえ棒にし、「服属国」は「帝国」を寄るべき大樹にするという相互依存的な関係を結んでいる。「帝国」はつっかえ棒を失うのを恐れ、「服属国」は大樹の陰から追い出されるのを恐れる。
大樹にすっぽり覆われていないと存立が危うくなると考えているのが今の日本政府だ。対等な主権国家どうしの同盟なら、条約に書いてあることだけを順守すればいいはずなのに、あらゆることで「帝国」に従順に振る舞わないと大樹の下から締め出されるのではないかという不安と恐怖に常に囚われている。
30代 その囚われから脱する道はあるのか。
年金 民主党の鳩山政権が、普天間基地の移設先を「最低でも県外」と公約しながら、実行できなかったのは、「服属国」としての不安と恐怖に駆られた霞が関の官僚たちが激しく抵抗したからだ。辺野古移設の工事を止めさせるには、対米関係を「帝国」と「服属国」との関係ではなく、「主権国家」どうしの対等な関係として扱う確固とした理念を政府に持たせることが最低でも必要な条件となる。
アメリカは冷戦後もNATOや日米同盟によって西側諸国を束ねる「帝国」としての地位を失わなかった。しかし、ヨーロッパ諸国は日本ほど「帝国」に従順ではない。沖縄県の調査では、米軍に対してドイツ・イタリア・ベルギー・イギリスの4カ国が国内法を「原則適用」しているのに、日本は「原則不適用」だ。
この違いは先に触れたウェストファリア条約に起源がある。国家間の関係を上下関係として扱う「帝国」に代わって、対等な関係にある「主権国家」群が世界を構成するという原則がそこで打ち立てられた。
私たちの国は戦後「主権国家」としての体裁を整えた。だが、それは自らの意思で選び取ったものではなく、アメリカに新しい憲法を押しつけられた結果だ。敗戦までの「帝国」の残滓を入管などに温存しながら、米「帝国」の「服属国」として現在に至っている。