がらがら橋日記 中海の畔にて③

 

 どうせ食べるのならうまいものを食べたい。とMさんは言う。これだけ切り取ってしまえば、だれだってそうだろう、で終わってしまうのだが、Mさんのそれには彼女がなめてきた辛酸が乗っかっている。Mさんの畑仕事を手伝い、ぼくの畑仕事を手伝ってもらっている間、おしゃべり好きのMさんは話が止まらない。ん、そんな話は音量下げた方が、とハラハラするときもあるが、本人はおかまいなしだ。昔食べていたものの話になると特に勢いづく。それはそうだろう。中海はかつて音に聞こえた食材の宝庫だったのだから。赤貝は中海のものに限る、など小学生のぼくでさえ知っていた。

 うなぎ、えび、かに、魚、貝、それに山のものも加えて、今となってはどれほど金を積んでも手に入らぬ品々を毎日たらふく食べていたのだ。ある時まで。

 昭和38年国の事業として宍道湖・中海淡水化事業開始。昭和49年海水の遡上を止める中浦水門竣工。平成14年淡水化事業中止。平成21年水門の撤去完了。

「一度変えた環境は、そう簡単には戻らんわね。」

 淡水化事業だけが、中海を変えてしまったわけではないのかもしれないが、消えてしまった海の生き物たちがいつか戻ってくるにしても、Mさんもぼくも生きているうちにそれを目にすることはないだろう。

 過去形で語るしかないのだけれど、長く特上の物ばかり口にしていた体験は、困難を耐え忍ばねばならなかったときのMさんを支えた。うまいものを食べて生きていけばいい。元気で働けるのも、命さえあればどうにかなるという楽観が消えないのも、自分の血や肉を作っているうまいもののおかげだ。

「そう思ったらね、食べることが自分の中心になった。」

 うまいものイコール高い物、ではない。たとえば播種、施肥、収穫のタイミングを計り、化成肥料に頼らず、丹念に土を作って育てる野菜。

「うちの野菜は、みんながおいしいおいしいって言ってくれる。」

 どうせ食べるのならうまいものを食べたいし食べさせたい。だから、惜しげもなくだれにでも分け与える。ぼくも行く度にどっさりといただく。畑も無料で貸して、どうすればおいしくなるかを説く。間違ったら小言も言う。料理も研究熱心だ。おいしくするのに金を惜しまない。というより、よくなるのなら金額は関係ない。

 暮らしが楽しくなるコツってこういうことかもしれないな、とMさんを見ていて思う。