人生の誰彼 10 夏休みの思い出
新学期が始まり、通勤時に再び集団登校の子供たちの姿を目にするようになりました。この子たちには、これから様々なことが起きる長い人生が待っているんだと思うと複雑な心持ちになったりもするのですが、とりあえず今日も一日元気で行ってらっしゃいと心の中で声を掛けています。
昔々、小学校6年生の夏休み前のことでした。いつものように学校から帰宅すると家に母の姿はなく、夜勤明けの父と幼稚園から先に帰っていた弟がいました。おもむろに父は私と弟に面と向かうと諭すようにこう言いました。「お母さんは出て行った。もう帰ってこないかもしれない」
その後夏休みに入るとすぐに、私と弟は出雲市の町外れにある父の実家に預けられ、その殆どを祖父母の下で暮らしました。その間どんな思いで何をして過ごしていたのか、何故か全くと言っていいほど記憶がありません。誰しも子供の頃の出来事をひとつひとつ事細かく覚えているわけでもないでしょうが、いつもとは違う夏休みなのだから何かしら心の奥に印象として残っていそうな筈なのに、それが皆目思い出せないのです。
例えば祖母が毎日どんなご飯を食べさせてくれたのか、記憶を振り絞っても出てこない。祖父は手先の器用な人だったから、きっと一緒に何かを作ったりして遊んでくれた筈ですが、これまた忘却の彼方です。
そういえば覚えていることがひとつありました。休みの途中、父が私達の様子を見に来たときに『別冊冒険王』を買って来てくれたのです。嬉しくて何度も読み返しました。当時はそれくらいしか楽しみがなかったのですね。その『別冊冒険王』は、裏表紙が外れてボロボロになりながら今も手元に残っています。手に取ると何故か幸せな気持ちになるから不思議なものです。
祖父の死後のことです。平成3年に海部総理大臣より戦後のシベリア抑留者に対し慰労の思いを込めた書状と銀杯が贈られました。祖父は終戦時にソ連軍により拿捕されシベリアに抑留された日本兵の生還者だったのです。祖父から戦争の体験談を聞いた覚えが殆どない私にとって、それは驚愕の事実でした。筆舌に尽くし難い過酷で悲惨な体験をしたであろうことは想像に難くありません。せめて生きているうちにと思うと残念でなりません。