がらがら橋日記 中海の畔にて①

 

 自分の生まれ育った、そして今も暮らす地をこんなに手放しで褒め称える人に出会ったのは初めてかもしれない。Mさんと話していてそう思った。自慢話には違いないのだが、聞いているぼくはちっとも不愉快でなく、まったくその通り、と素直にうなずけるのだった。Mさん宅に向かうまでずっと、ほれぼれする眺めが続いていたし、猛暑日なのが嘘みたいに、話している間中気持ちのよい風が吹いて、汗がひいていったからである。Mさんは、見てほしいと言って、十年以上前に撮った写真を持ってきた。家の前で撮ったものだと言う。

「これ、うちのおじいちゃん。」

 写真全体がオレンジに光っているのは、中海が朝日を浴びているからで、シルエットになっている小舟とおじいちゃんは、これから漁に出るところなのだ。奥に大きく大山が浮かんでいるから、まるで山に向かって舟を進めているように見える。

「写真下手だからね、どうしてもあの色が出んのよ。」

 きれいだなあ、と感嘆しているぼくに、本物はこんなものじゃないってことだけは分かってほしい、とでも言うようにMさんは嘆いてみせた。実際その写真はわずかにピントがずれていたのだが、この湖で生きる漁師の誇りや喜びまで写り込んでいるように思えた。こんな光景とともに暮らしてきたのだから、言葉に尽くせぬのがもどかしくてならぬほど褒めたくなるのもわかる。

 もちろん、いいことばかりなはずはなく、困ったこともあるからぼくのところに依頼が入ったのだけど。

 となりの写真は、船小屋、波止、舟、干した網が中海、大山を背景にして写っていた。そして、吹雪いているみたいにカモメだかウミネコだかが写真全体に群れていた。驚いて聞いてみると、

「昔はいたんだよ、たくさんたくさんね。今はまったくいない。」

とMさんは言った。緊急車両を通すためという理由で、たっぷりと幅をとった護岸工事は今も伸び続け、船小屋も造船場ものみ込んでしまっていた。

「やがて湖に下りられるところがなくなってしまうの。それだけはやめてほしいんだけどね。せめてここだけは。」

と、Mさんはさざ波が洗う石垣を見た。

 Mさんの家では、おじいちゃんを最後に漁業を止めた。網はカラス除けになり、船着場は埋められて自動車が止まっている。Mさんが賛辞を惜しまぬ風物の半分は、もうその記憶の中にしかない。