専業ババ奮闘記その2 猛暑、コロナ5波①

 

 年々夏の暑さが厳しくなっている。豪雨が全国ニュースになってほどなく梅雨が明け、いきなり真夏日になったかと思うと、今度は雨が一切降らなくなった。8月に入ると、36度を超える日が一週間近く続き、これまで味わったことのない37.1度を体感した。梅雨明けからの猛暑、雨の降らない日は一か月ほど続くことになる。

 息子が福井から帰り、3人の暮らしが戻った。夏休みに入ったので給食がなく、弁当持ちで職場に出る日があると思えば、有休を使って涼しいところに行くことも。とにかく連日の暑さで、人間だけでなく、野菜も大変だ。7月も終盤に近付いた日、早朝に出て夫と畑に向かった。その日は、私がゴンダ畑で水やりとオクラの周りの草を取り、夫はカボス畑でやはり水やりとの刈払い機での草刈りと二手に分かれ、「一時間ほどで帰ってくる」と私をゴンダ畑に置いて、夫はカボス畑に向かった。最高気温が34度を超えた日で、陽はそう高くないのに額からぽたぽたと汗が零れ落ちる。オクラの周りの草を取り終わると、一時間ちょっと経っていた。夫はまだ迎えに来ない。携帯で連絡するが出ない。もしや、熱中症で倒れているのではと心配になり、荷物はそのままにして、歩いてカボス畑に向かう。一キロ離れた畑まで焼け付くアスファルトの上を歩きながら、もし、倒れていたらどうすればいいか考える。心臓マッサージはどうだっけ。もう少し真面目に救急講習を受けておけばよかった。いや、まずは救急車だ。だけど、カボス畑の番地が分からない。場所をどう伝えればいいだろう。畑に通じるわき道に入った頃から、心臓がばくばく言い、汗もどっと拭き出す。二本の梅の木の向こうにしゃがんでいる夫の後姿が見える。恐る恐る傍によると、刈払い機に油を注いでいるところだった。「生きてたか」まず、口から出たのはその言葉だった。

 以来、この炎暑の間は草には目を瞑り、私一人で一日おきに水やりだけに通うようにした。スーパーカブで往復約80㌔の行程だ。早朝に出るので、車が少なく、しかもまだ気温が一番低い時間帯で、肌寒くさえ感じる。帰りはすでに気温が上がっているので農道を通る。山間は断然空気がうまいし、暑くはない。町中に入ると、信号で停まり、背中に汗が噴き出してくるのが分かる。でも、帰ればシャワーだ。それを楽しみにバイクを走らせる。