がらがら橋日記 700円

 

 就労以来、仕事の内容はほとんど草取りばかりなのだが、本来はもっともっと多岐の要請に応じる。利用者と作業者のマッチングをする仲介者があり、それぞれの合意で事が運ぶ。利用者は一時間につき1000円を支払い、そのうちの700円を作業者が、300円を運営側が受け取る。交通費などの必要経費は別にもらうけれど、それ以外はすべて一律で、技術や資格の有無は考慮されない。あくまで素人のお手伝いです、ということになっている。

 給与が銀行に振り込まれるようになって30年以上経つので、報酬として現金を受け取るなんて長らく忘れていた。「お世話になりました」と言って利用者から渡される700円なり1,400円なりを受け取って財布に収めるという行為がとても新鮮に思える。それはつまり、どのように働こうと月々決まった額が振り込まれることに慣れきって、無感覚になっていたことの証拠でもある。手のひらに乗った700円を眺めていると、偏った金銭感覚に疑問を抱くこともなく今日まで来てしまったのだと思えてくる。

 島根県の最低賃金は、824円。全国平均は930円。ちなみに最も高いのは東京で1,041円、低いのは沖縄県で820円である。700円はそれらと比較してもぐんと低いのであるが、雇用関係にあるのじゃなし、拘束時間も自分で決められるし、職務命令に縛られることもなく嫌なことはしないで済むので、有償ボランティアの報酬としては適正の範囲だと思う。この間は、請求額を見た老婦人から、
「そぎゃんことでいいかね。あんま安て気の毒んなあがね。」
と言われてしまったが。

 さてこの700円、いつの間にかぼくの中で一つの尺度になった。例えばスーパーで食材を買う。これは、炎暑の下でボタボタと汗を垂らしながら草を取った○時間と等価なのだ、とつい仕事のしんどさや疲労度を単位に価格を計ってしまう。高額だと、それだけの金を得るためにはどれだけ草を取らなければならないか、と考える。それを理由に倹約に走るとか10円でも安い物を探すなどはしないまでも、薄ぼんやりしていた金額に対する反応が具体的になったうえに、ずいぶん生々しくなった。これまでとは焦点距離の違うレンズで見ているような感じだ。この距離感は大事にした方がいいなと思う。時給300円のあり得ない給料が制度を隠れ蓑にまかり通ったり、10億の年収ですら不足の人間が会社経営していたりする世の中で、目くらましに遭わないためにも必要なんじゃないかと思うのだ。