ニュース日記 837 参院選があぶり出すもの
30代フリーター やあ、ジイさん。参院選では自民党が選挙後に憲法改正原案を国会に提出する構えを見せるなど改憲に前のめりになっている。
年金生活者 有権者の関心は物価高対策に集中し、改憲の議論は政党とマスメディアだけが盛り上がって終わるだろう。
公示前日に開かれた党首討論会を報じる朝日新聞は「物価高・憲法 9党首討論」の見出しを掲げた。物価高対策に多くの時間が割かれたと伝える一方で、岸田文雄が改憲の原案を発議可能な3分の2の勢力で参院選後に一致させたい考えを表明したと報じた。
そこだけ見ると、改憲が物価高に次ぐ有権者の関心事のように錯覚しそうになるが、これまでの世論調査では改憲は有権者にとって優先順位が低く、議論に熱心なのは政党とマスメディアだけというのが実態だ。まして今回は長いこと経験したことのない急激な物価高が襲った。「憲法よりそっちをなんとかしてくれ」と言うのが国民の本音だろう。
30代 では、なぜ政党とマスメディアは改憲論議で盛り上がっているんだ。
年金 両者とも権力を持つ主体だからだ。政党は国家権力の一部を担っているし、マスメディアは第4の権力として国家権力とつながっている。憲法は国家権力を縛るものだという立憲主義の前提に立てば、政党もマスメディアも縛られる側だ。おのずと緩めるほうへ傾くのは避けがたい。改憲に批判的な政党もマスメディアもあるが、他方で賛成する政党、マスメディアがあれば、必然的に議論は盛り上がる。
30代 自民党はロシアのウクライナ侵略がもたらした国民の危機感を奇貨として防衛力増強と憲法改正を併せて進めようともくろみ、政調会長の高市早苗は今年度当初予算の2倍の防衛費を主張している。それにこんなツッコミが入っていた。「若年人口が激減していてすでに半減、20年後にはさらに半減するのに、防衛費倍増して誰が戦車や戦闘機や軍艦に乗るのか」(永江一石「ウクライナ問題で日本の防衛力強化を語る無意味さ」、アゴラ、6月22日)
年金 倍増された防衛費でまかなわれた軍備は、それを動かす人手が少子化で追いつかず、「張り子の虎」になる恐れがあるという警告だ。もしその通りになれば安全保障上のリスクはいまより増すだろう。軍備を大幅に増強し、9条に自衛隊を明記すれば、露骨なけんか腰と中国は受け取るに違いない。自らもファイティングポーズをとらざるを得ない。しかも、「張り子の虎」とわかっているから、戦えば勝てる確率が高いとみて、状況によっては攻撃に踏み切る可能性が生まれる。
与党はこの参院選で改選過半数に達する勢いと報じられている(6月24日朝日新聞朝刊)。与党なら物価対策をうまくやるだろうと国民が思っているからではない。うまくやれない度合いが野党よりもまだ少ないと見ているからだ。まして憲法を変えてほしくて自民党に投票する国民は少ないだろう。参院選での与党の勝利は国民が9条改正や防衛費の倍増を許したことを必ずしも意味しない。
30代 高い支持率を維持する岸田政権の与党と、バラバラ感のある野党が争う参院選をめぐって、河野有理という政治学者が次のようなことを言っていた。「日本維新の会や国民民主党のような、与党の政策に一部賛同するような政党をどう理解すればよいのでしょう。政策課題ごとに部分連合、パーシャル連合といった政党間の連携が具体化するかもしれません」(6月23日朝日新聞朝刊)。
年金 政党というものの地位が低下していることをうかがわせる指摘だ。党派の違いを物差しにした政治が後退する兆しかもしれない。
30代 それにしては、参院選で自民党は安定した戦いぶりを見せている。
年金 自民党のいまの勢いはみかけほどではなく、政党全体の地位低下は自民党も含めて進んでいる。そのため有権者は政治全体の実行力に不安を覚え、どこかに力を集めたほうがいいと考えて与党に過半数を与え続けているように思える。
政党の地位低下は私が言い続けている国家からの権力の分散によるものだ。資本主義の高度化は国家の権力の一部を、個人、企業(市場)、国家間システムに分散させた。消費の過剰化が個人への、産業のソフト化が企業(市場)への、資本のグローバル化が国連やEUといった国家間システムへの分散を駆動した。国家権力の一部をなす政党も、官僚組織などともに地位低下を免れない。
政党の場合それは党派的な考え方の後退となってあらわれる。従来だと対立する政党の言うこと、あるいは嫌いな政党の言うことなら、妥当なことであっても反対するのが当然視されてきた。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのが党派的な考え方だ。
それがいま弱まり始めた。その変化はまず野党にあらわれている。野党は自民党に比べると党派的な思考、党派性の論理に傾きやすい。与党を倒すことを使命としているので、与党の言うこと、することにことごとく反対する方向へ行きがちになるからだ。だから、党派性が弱まるとき、その変化も顕著に出てくる。維新の会や国民民主の是々非々的な態度への傾斜はその代表例だ。