がらがら橋日記 ちょこっと就労①
ちょこっと就労を始めた。この言葉は、朝日新聞の特集記事で見つけた。どの程度流通している言葉か知らないが、フルタイムではない短時間労働を指し、記事では特に退職後の無理のない労働に焦点を当てていた。まさに今のぼくのような者が対象となっている。まあこれからはそうしゃかりきにならんでも、と言ってるような軽い響きがいい。
退職後、どのように働いたものか、あるいは働かないでいるものか、退職する前から何度も繰り返し考えてはみた。ただ、こんな問いに答えは無いのであって、せいぜい堂々巡りするのが関の山だ。同じ退職仲間たちもそれぞれに抱えている事情が違うのだから、参考になる意見なんぞまずない。今は、未曾有の教員不足時代だから、再任用を決めた人たちも少なくなくて、「何を迷うことがある」と不思議な顔をする人もあったし、「少しでも恩返しができれば」と言う人もあった。そうかと思えば、今少し陰影に富んだ人たちもいて、「子どもの学費がまだかかーに」と少し照れて言われたり、「かみさんが宗教に入れ込んでしまって」などどう言葉をかけたものかわからない者や、「パチンコにつぎ込んで蓄えが無いのだ」と、非難される余地を与えないよう平然と言い放つ者もいたりで複雑極まりない。
ある友人は、「今の学校にだけは勤めたくない。退職してせいせいした。しばらくは好きなことをして暮らす」と言った。好きなことは何だ、と聞くと、それはこれから考えるということだった。
今のご時世とそれまでの教員人生とが絡み合ってそれぞれの選択に至っているのだから、比較しても意味はない。ただぼくの場合は、選択を先送りできる状況にたまたま置かれたのであって、ならば今は決めないでいてみようと思っただけである。
ちょこっと就労は、初めてではない。高校生の時、友人のSが新聞配達をしている、というのを聞いて自分もやってみたくなった。Sは、面談の際に担任教師にそれを伝え、「これで内申書がよくなる」と勤労少年にあるまじきことを言った。ぼくもつまらん対抗意識を燃やしてしまい、抜け駆けは許さんぞとばかりその日のうちに新聞販売店を訪ねたのだった。就労の動機はとことん雑駁なものだったが、働いて収入を得るという経験は、すばらしく自由で、きっぱりしていて、甘美だった。川霧の立ちこめた道を新聞を積んだ自転車で走っていると、このまま空を飛べるのじゃないかという気さえした。一度は、町を覆うかのような怪鳥に乗った巨人に先導され、今にも前輪が浮き上がりそうになったのだった。(この稿続く)