がらがら橋日記 ソーセージ
自分で作れるとは61年間一度も思ったことのないソーセージ(サルシッチャ)が思いのほか簡単にできることを知った。もちろん、一定の品質など求めれば、とんでもなく難しいことになるのだろうが、自分で作って食べる分には、どんな味になろうと構わないのが強みだ。むしろ作る度にできるだけ味が違っていた方が楽しい。
カルミネ・アバーテの小説に出てくる料理上手の面々にとっては、もちろんそんないい加減な態度は論外で、日常の食卓を飾るそれが至宝のごとく描かれている。決して豊かではない、歴史的にも抑圧され続けた人たちが、ありふれた料理で究極の味を得ているというのは、読んでいて胸が熱くなるものがある。
興が乗って、関連図書をいくつか読んでみた。中世ヨーロッパの身分社会は、食をも階層化していて、鳥獣を狩ってその生肉を食すのは貴族の権利だった。肉を焼いて食べるなんて貴族の特権で、農民たちはそもそも生肉を食す機会さえなかった。冬の間に屠った豚肉を塩漬けにし、それを一年かけてちびちびと食べるのだ。その保存食の一つがサルシッチャ、ソーセージということらしい。だから、余すところなく食すために茹でる煮るを基本とした調理法なのだ。
だが、おもしろいことに焼いた肉を食せぬ農民たちを見下していたはずの貴族が、やがて農民食に手を広げていくようになる。つまり、農民たちの方がうまいものを食していたのだ。日本の食文化についても似たような話を聞いたことがある。いつだって人はうまいものが食べたいのであり、なければないなりに工夫を凝らすのだ。その方がずっと画期的だったりする。
半世紀近くも前のことになったが、一度だけ天神祭のアルバイトをやった。得体の知れない痩身の中年男と露店でソーセージを売った。段ボールに詰められた初めから串の刺さった冷凍のそれを水を張ったバケツに放り込み、溶けたのから衣を付けて油で揚げる。夜になって浴衣をまとった大勢の人で埋まり、ぼくらの店の前にまで押し出されるようになると、それで弾みが付くのか飛ぶように売れた。バケツの水を替えに行く暇もなくなって、油と埃でドロドロになっていった。ぼくの隣でひたすら揚げている男は、もともと無口なふうだったのが忙しさでますます黙ったままだ。でも、客足ががほんの少し途切れたとき、ぼくの足下のバケツをチラッと見て、
「ようこんなもん喰うわ。」
と言ってニヤッと笑った。ぼくも笑った。試してみてもよかったけど、結局最後まで口にしなかった。ソーセージの中身は、肉屋と神様しか知らない。