がらがら橋日記 ハーブ⑤
パセリ、タイム、ローズマリーあたりがスープレシピの本には出てくる。ほかのハーブが出てきても代用が可能だから、それらだけ植えておけばいいようなものではある。でも、繰り返し浮かんできてしかたないのがサイモンとガーファンクルの「スカボローフェア」で、「パセリ、セージ、ローズマリーアンドタイム」と四つ並んで小学生の頃からインプットされている。たぶん死ぬまで抜けない。てっきりスカボロー市でそれらを売っていた、という歌詞だろうとずっと思っていたが、実ることのない恋を綴った歌詞に挿入された、おまじないみたいなものというのを後に知った。どことなく呪術めいた響きがあるのは、そのせいか。だから使うあてもないのに、セージも植えた。おまじないの威力に屈服したというわけだ。
だが、サルシッチャを作るに当たり、ソーセージにセージは付きものと知った。勇躍セージの出番とあいなったのだが、ずっとスカボローフェアの術中にはまったままという気がしないでもない。
ついでに、ソーセージとは、セージからその名を得ているのではといささか興奮を覚えた。調べてみると確かにその説もありはするが、はっきりしない。ソーセージもサルシッチャも語頭の部分は塩を意味し、どちらも塩味肉といった意味らしい。
適当に刻んだ肩ロースと挽肉にハーブ類と塩こしょうを混ぜる。後は寝かせて、茹でて、焼くだけなので、この時点でほとんど出来上がったようなものだ。塩を肉の一パーセント入れるほかは、何をどう入れようと成立するので、作り手の裁量に委ねられた部分が極めて大きい。欧州には、ソーセージの中身は肉屋と神様しか知らない、という言い回しがあるのだが、怪しげなことをしようと思えばいくらでもできる代物ではある。
サルシッチャは、混ぜた肉を腸に詰める。小説では、家族総出で賑やかに作るところが描かれていて、読んでいるこちらまで幸せな気分になった。昔見たエルマンノ・オルミの『木靴の樹』を思い出した。悲しい映画だったけれど。
腸などあるわけないので、サランラップで代用する。くるくると包んで冷蔵庫で一日置き、それをさらにアルミホイルでくるんで茹でる。仕上げは、フライパンにオリーブオイルをひき、焼き目を付けてできあがりである。形状はさておいても、純度だけは誇れる。日本農林規格に照らしても、特級に相当する。反省すべき点は数あれど、申し分のない美味であった。二回目を早く作りたいのだが、いかんせんハーブの成長が追いつかない。