がらがら橋日記 ハーブ⑤
新たな関心を得ると、見えなかったものが見えるようになる。毎日のように通っている住宅街で植栽のいくつかを新たに識別できた。ある家では玄関周りのフェンスを塞ぐように繁茂しているのがローズマリーではないかと思え、葉っぱを数本ちぎってみたらその通りだった。実家に植えたそれがまだ貧弱で活用するに十分ではないので、少々いただいたところでどうということもあるまいなどと不埒な思いが浮かび、あわてて打ち消した。言葉の獲得と同じで、育てるとか食すといった体験があると知識も得やすく、同時に引き出される感情も複雑になる。
図書館に行っても、本の背表紙を目で追いながら、同期するタイトルが変わっているのを感じる。ついこの間もふと目にとまった『海と山のオムレツ』(カルミネ・アバーテ/新潮社)に「お待ちしておりました」とささやかれた気がして借りて帰った。イタリアの現代小説などこれまでほとんど無関心だったのに。
同書には、聞いたことのない料理がふんだんに登場し、しかも登場人物たちが実においしそうにそれを食すので、せっかく本と出合いながら知らぬままでは済まされまいという気になる。中でも登場頻度の高いのがサルシッチャで、これも生まれて初めて聞き知った。作者の描くところから察するに、各家庭、各地域で長年磨き抜かれた、ごくごくありふれた料理のようで、それゆえいつ何時絶品に出合うかもわからないのだ。日本料理でいえば、味噌汁とか煮染めぐらいの位置づけだろうか。
サルシッチャがどんなものか分からないままでは読み進めることもできず、ネットで調べてみた。何のことはない、ソーセージだった。正確には、焼いたものがソーセージで、焼く前、あるいは焼かずに食べるものをサルシッチャと称するらしい。生のまま食べる場合もあるという。豚肉は生で食べてはいけないと刷り込まれているので、ほんとかやあと疑ってしまうのだが、日本で生卵を食べるのと同じようなものかもしれない。懇切丁寧に作り方を教えている動画も出てきて、ついでに見てみたら拍子抜けするほど簡単だった。豚の挽肉と刻んだ肩ロース、ハーブに塩こしょうを混ぜればよいのだ。なるほど、どんな具合に混ぜるかでいかようにも味が変わるから、件の本では様々なサルシッチャが登場するわけだ。
失敗のしようがない料理なので、俄然やる気になった。スーパーでちょっと赤身の多い挽肉が30%引きであるのを見つけてすっかり気を良くし、肩ロースとともに求め、ハーブを取りに実家に寄る。植えて間なしの面々早速総動員である。(この稿続く)