ニュース日記 831 戦争が「構造化」するのか

 

30代フリーター やあ、ジイさん。ロシアとウクライナの戦争は「こう着状態」が伝えられるようになった。

年金生活者 2カ月半以上たって一種の均衡状態に達し、戦争が「構造化」することが可能性のひとつとして浮上してきた。東西冷戦が「冷戦構造」と呼ばれるに至ったように。 

 当初は首都の陥落は時間の問題といった予測が報じられた。その見通しが崩れると、ロシア経済が早期に破綻する可能性が伝えられた。いずれもこの戦争が大きな不均衡をもたらすとの前提に立った見方と言える。

 時間がたつにつれて、そうした見方はどちらも後景に退いた。戦争は「不均衡」から「均衡」へと転換しつつあるように見える。それはウクライナ国内にとどまらない。フィンランドやスウェーデンがNATO加盟に動き出したことにもあらわれているように、世界の安全保障システムの変化をともないながら、戦争の「構造化」が進むことを今後の可能性のひとつとして想定しておく必要を感じる。それは地獄が常態化し、緊張が恒常化することを意味する。

30代 ロシア国民のあいで戦争に反対する声が高まらない。

年金 池田嘉郎というロシア史の研究者が先日の朝日新聞で、「サボールノスチ」という、ロシアの古い文化を表す概念があると語っていた(5月11日朝刊)。「個人が集団に融合することで社会が調和するという考え方です」と説明している。個人より集団を重んじる思想は帝政ロシア、ソ連、そして現在のロシアに至るまで一貫しており、中国や日本など近隣のどの国よりもそれは強いように感じられる。

 池田は「サボールノスチ」は「人権の尊重や私有財産の不可侵を基礎におく西欧的な近代思想とは別な位相にあります」と語る。中国は「人権の尊重」こそないものの、「私有財産の不可侵」は制限付きながらかなり浸透していることを世界第2位のGDPが示している。日本は太平洋戦争での敗北でアメリカに「人権の尊重」を押しつけられ、それが戦前からあった「私有財産の不可侵」とあいまって高度経済成長をあと押しする力となった。

 ロシアの場合は「人権の尊重」も「私有財産の不可侵」も「サボールノスチ」によって妨げられていて、それが軍事力の肥大化と経済発展の遅れを招いている。

30代 「サボールノスチ」というのはそんなに強いのか。

年金 この前近代的でローカルな思想を生き延びさせた要因のひとつは「社会主義」というグローバルな思想だ。ソ連の誕生で「サボールノスチ」は「社会主義」の衣をまとい、それによって勢いを得た。別の面から見れば、西欧で生まれた「社会主義」は「サボールノスチ」によってねじ曲げられた。

 その結果、個人より集団を優先するのが「社会主義」だという錯誤が世界に広まった。日本でそれと戦い続けたのが、プロレタリア文学を批判し、ソ連や中国を批判する手をゆるめなかった吉本隆明だった。個人より集団を重んじる考え方がどれだけ人間を残虐にするか。吉本はそのことへの警戒を最後まで解くことはなかった。

30代 対独戦勝記念日の軍事パレードで演説したプーチンは「キエフは核兵器取得の可能性を発表していた」と主張したそうだ(5月9日NHK NEWS WEB)。

年金 ロシア国民はプーチンを支持してはいても、ウクライナに攻め込まれたわけではないから、「被害感情」はそれほど強くないと推察される。それでは戦争を進めにくいと考えたプーチンは、代わりに「被害妄想」を植えつけようとしているように見える。

 戦争は国民の被害感情を推進力とする。他国が攻めてきた、あるいは攻めてきそうになったときに生まれるその感情が国民を結束させ、戦う大義名分を形成する。

 ウクライナ国民にはロシアに侵略されたという強烈な被害感情と、侵略者を撃退しなければならないという明白な大義があり、それが兵士、国民の士気を高めている。ロシア国民にはそれがない。この戦争に何がなんでも勝たなければならないという切実さは感じられない。

 プーチンはそれを承知しているから、なんとか国民のあいだに被害感情を醸成しようと、ウクライナが核武装を表明したかのようなことを語ったのだと推察される。

30代 ウクライナのほうは日々起きている現実の被害がこれでもかというほど被害感情を再生産し続けている。

年金 戦争の推進力となる国民の被害感情の大きさにこれだけ開きがあると、当然ながら戦局を左右する。つまりウクライナに有利に、ロシアには不利に働く。人為的には変えようのないこの差を考えると、孤立を深めるロシアが勝利する光景を思い浮かべるのは難しい。

30代 そうなると、やっぱり核の使用が懸念される。

年金 マシュー・クローニグというアメリカの核戦略の専門家が「ある意味、ロシアはすでに核のチキンゲームには勝っているとも言える」と語っている(5月4日朝日新聞朝刊)。「ロシアとの核戦争を避けたい」と公言するバイデン政権を弱腰と見る指摘だが、ロシアが勝っているなら、実際に核を使う必要はない。核戦争の可能性はゼロではないが低い状態が続くだろう。