がらがら橋日記 ハーブ④

 

 頼りにしているスープのレシピ本は、一日一つ三百六十五のレシピ集なので、一年が経過した今、一巡りして元に戻った。作って食した後は、余白に簡単なメモを記す。日付と感想、そして◎○△。長年子どもたちの通知票につけてきた記号で味を評価する。もともと嫌いなものはないし、そのとおりに作ればおいしくなるレシピを集めているのだから、○◎が多くなるのは当然なのだが、△もわずかながらある。このレシピ本二巡目に入り、それなりに経験を積んだからには、△のままでは置くまいと思う。レシピの側に非があるとはとても思えない。

 ぼくの教員としてのスタートは、江の川沿いの小さな町だった。あてがわれた住宅は、ほとんど学生の下宿屋同然で、新規採用の男ばかり四人で暮らした。楽しかったのだが、学生気分が抜けるのにそれだけ手間取ったかもしれない。隣室のTさんは、画家でもあった。二人で飲みながらモチーフの話などよくした。描いているところはついぞ見なかったが、何年か前に新聞で個展が大きく取り上げられていたから、ずっと描き続けていたのだと懐かしくなった。酒のあてなど何でもいいぼくと違い、Tさんは一手間かけるのが常だった。缶詰のオイルサーディンもTさんによって初めて知った。缶切りで蓋を中途まで開き、そのままオーブントースターに入れて焼く。プツプツと黄金色の泡を立てる缶詰に箸を突っ込んで熱々のイワシをハフハフ言いながら食した。うまかった。関係ない気もしつつ、やっぱり美術家は違う、と思った。

 スープレシピに缶詰のオイルサーディンを見つけたとき、四十年前の焼きたての味と香りがよみがえった。あれ以降、一度も買いも食べもしていない。スープはトマトベースで、オイルサーディンで出汁と油を兼用している。期待を膨らませて買い物をし、台所に立った。なのに、ぼくはレシピの余白に△を記した。イワシの生臭さが口中に残って、うまいと思えなかったのだ。一年が経ち、オイルサーディンの値打ちを下げたままではTさんとの記憶にもケチを付けているようで落ち着かず、再挑戦することにした。△とともに記したいくつかの反省を反映させた。一つは、前回入手できずに見送ったハーブ、実家の裏庭から植えたばかりで摘み取られたローズマリーの使用。もう一つ、缶詰オイルサーディンは最安をもってよしとせず国産にし、油量を控えめにすること。結果、ハーブが見事な働きをし、前回辟易した生臭さが消えた。ぼくは無事◎を書き入れた。あのころTさんが語っていたモチーフは「結」だ。オイルサーディンに結びついた記憶とスープでしばらくぬくもった。