ニュース日記 829 日本人がマスクを外す日

 

30代フリーター やあ、ジイさん。「日本でマスクを外せる日はいつ?」というコロナ関連の記事を見た(5月1日毎日新聞ウェブ版)。「欧米では感染状況を踏まえ、着用義務の撤廃や緩和の動きが広まっているが、国内での議論は低調だ」と記事は伝えている。

年金生活者 4月初め、楽天グループの入社式が出席者全員ノーマスクだったことをツイッターで知った。日本人のマスク一斉着用が同調圧力によるものだとすれば、別の同調圧力があれば一斉にマスクを外すだろうと思った。

30代 なぜ楽天はノーマスクにしたんだ?

年金 入社式を報じるニュースサイトの写真にはマスク姿はひとりも写っていないのに、記事ではそのことにふれられていないので、理由はわからない。

 社員どうしが互いに顔を覚えられるようにという狙いからかもしれない。若い人がほとんどなので、感染者が出ても重症化する恐れがあまりないという判断もあったかもしれない。

 どっちにしても、出席者がそれぞれの判断でマスクをしないと決め、それがたまたま全員一致の結果になったということはあり得ない。会社の指示または誘導があったと推定するほかない。そうなると、今までマスク着用を促していた同調圧力が一転してノーマスクを促す力となる。

30代 マスクはコロナが生んだ同調圧力の中でも最強だ。

年金 マスクを着ける主な目的は医療従事者と患者とでは違う。前者は患者からの感染を防ぐため、後者は他人への感染を防ぐためだ。この違いは医療上の違いだけでなく、権力を行使する側にある前者と、行使される側の後者との違いでもある。

 わかりやすくするために、極端な言い方をするなら、マスクは医療従事者にとっては危険から身を守るための城壁であり、行動の自由を保持するための盾であるのに対し、患者にとってはわが身が閉じこめられる監獄、自由を制限される拘束具に相当する。前者は支配する側に、後者は支配される側にそれぞれ配置され、両者の間には権力関係が生じる。

 新型コロナの流行下では、権力を行使される側、支配される側としての患者の立場が、患者でない一般の国民にまで拡張された。国民は他人への感染を予防するのを主目的にマスクの着用を求められた。「風邪症状があれば、外出を控えていただき、やむを得ず外出される場合にはマスクを着用していただくようお願いします」と(厚生労働省ホームページ)。

 この権力関係のおおもとにあるのは、権力としての医療界と、その権力を行使される側の一般国民との間の目に見えない関係であり、マスクはそれを可視化する役割を果たしている。したがって、一般国民にとって、マスクを外すこと、着用しないことは、部分的にせよ抑圧からの解放を意味する。

30代 その解放を大多数の国民が目指そうとしない。

年金 権力関係は一方が他方を無理やり従わせることだけで成り立っているのではない。従う側に自ら進んで従おうとする意志が大なり小なり必ず存在する。それが同調圧力を形成する。私たちの国ではそれが形成されやすいことをコロナは示した。

30代 コロナ予防のマスクがいつごろからか「顔パンツ」と呼ばれるようになったのを思い出した。

年金 そんな呼び方をするのは、少なくとも先進国では日本くらいではないか。女性器を象徴する口と男性器を象徴する鼻を覆い隠すパンツ。衛生のためのはずが、マナーのためになり、合理的な動機よりも神話的な動機が日本人にマスクを着けさせている。

 そこには、日本と欧米の「自然観」の違いが垣間見える。自然は人間に恵みを与える一方で猛威を振るう。自然の一部である女性器も男性器も同様であり、そうした自然の両面が集中している器官と言える。そんな自然の危うさが表に出ないように覆いをかけるのがパンツだ。

 欧米的な考え方では、自然は手を加えて変える対象とされる。これに対し、日本的な考え方では、自然にはあまり手を加えず、さわらぬ神にたたりなしとばかり、危ない部分には覆いをかける。欧米の自然観は合理性を求め、したがってマスクもあくまでも感染予防のためだけに着用される。新型コロナが下火になった現在、欧米の人びとの姿を伝える映像はたいていがマスクなしの姿だ。

 消費行動の分析などをする「プラネット」という会社が2021年3月、マスクに関する意識調査で「あなたは、新型コロナウイルス感染症が落ち着いたあとも外出時にマスクをしようと思いますか 」と尋ねたところ、「外出時は積極的にマスクを身につけようと思う」が24・5%にのぼった。コロナ禍が終わっても4人に1人が外出時に積極的にマスクをするという調査結果は、感染予防のためという合理的な理由からは説明できない。マスクを「顔パンツ」と考える神話的な思考の強さを示しているといっていい。

30代 で、ジイさん自身はマスクをどうしてるんだ。

年金 外を歩くときは少し反抗的な気分になって着けないようにしている。それでもやはり人目が気になる。それは下半身に何も着けないで外に出る夢を見たときのような不安に似ているかもしれない。