ニュース日記 827 「帝国」の原理

 

30代フリーター やあ、ジイさん。ロシアがウクライナを侵略した最大の理由は、危うくなったプーチン独裁体制のネジを締め直すために、戦争を仕掛けてナショナリズムを煽ることにある、とジイさん言っていたな。

年金生活者 いまその見方を修正する必要を感じている。ナショナリズムは近代的な主権国家に固有の現象であり、「帝国」の伝統を引きずるロシアは純然たる主権国家とは言いがたいからだ。

 帝国は周辺の国を、独立した国家としてではなく、自国に服属する臣下のように扱う。そんな諸国家によって形成されるピラミッドが帝国の統治の骨組みとなる。どこか臣下の国がそこから抜ければ、ピラミッドはぐらつき、帝国の統治は危うくなる。ロシアにとってウクライナはピラミッドから抜けた国家に相当する。民主化を進め、対等な関係にある主権国家群の一員として振る舞い始めたからだ。「帝国」全体を脅かすそんなウクライナをロシアは許せなかった。

 ロシアも「帝国」を卒業して純然たる主権国家に脱皮すれば、新しい発展の道を選ぶこともできたはずなのに、プーチンにとってそれは独裁者としての自らの地位を失うことを意味する。それは選択肢になかったと推察される。

30代 ロシアはウクライナを「兄弟国」と呼ぶ。

年金 相手は身内だから、武力行使を懲罰と考え、戦争ではなく「特別軍事作戦」と呼ぶ。主権国家どうしの戦争というとらえ方をしていないので、そのぶんナショナリズムも思ったほど盛り上がっていない。それでもプーチンの支持率が高いのは、冷戦に敗れた帝国を立て直し、国民生活を安定させたツァーリと国民にみなされているからだ。

30代 ロシア軍の残虐行為が相次いで報じられている。

年金 それは「帝国」であるがゆえの残虐さでもある。前近代の権力が「逆らう者を殺す権力」だったのに対し、近代の権力は人びとを生かして管理する「生権力」だというフーコーの考えに従うなら、「帝国」の権力は前者にあたる。「生権力」は戦争においても敵国の国民だからといってむやみに殺すのではなく、兵士であっても捕虜にして生かし、管理しようとする。

 これに対し、ソ連軍の第2次世界大戦での残虐行為や、ロシア軍のチェチェンやシリアでの残虐行為はいずれも「逆らう者を殺す権力」の行使であり、先進諸国の「生権力」とは違う。

30代 ウクライナは台湾と比較されてもいる。

年金 ロシアにとってのウクライナ、中国にとっての台湾は、ともに「帝国」に服属すべき臣下に相当する地域として両「帝国」に扱われている。

 中国が台湾に武力行使するときも当然ながら国家間の戦争ではなく、「帝国」に逆らって独立するのを抑え込むための治安的、懲罰的な作戦として遂行するだろう。

 もし中国やロシアが「帝国」ではなく、近代的な主権国家を自認していたら、台湾もウクライナも自国の法をそっくり適用する領土として併合するか、独立した主権国家として認めるか、どちらかを選ぶことが論理的には推定できる。そのどちらでもない現在のような扱いは「帝国」に特有のやり方ということができる。

 中国は香港とマカオを「一国二制度」とし、台湾も同じ方式で統一したいと考えている。国民をひとつの法の下に包摂される同質の存在とみなす近代的な主権国家の原理からは考えられないことだ。ロシアもウクライナを併合してその国民を同じ法の下に置くとまでは言わず、「中立化・非軍事化・非ナチ化」した服属国にしたがっている。

柄谷行人は「帝国の原理」を、征服はしても全面的な同化は強要しないことにあるとし、「国民国家が成員を強制的に同質化するのとは対照的」であり、「国民国家の拡張としての帝国主義が多民族に同質性を強要するのと対照的」と指摘している。(『帝国の構造』)。

 中国の「一国二制度」も、ロシアのウクライナの扱い方も、主権国家の「同質性」とは対照的な帝国の「非同質性」に由来すると考えることができる。

30代 中国は「帝国」である限り、台湾の独立を認めることはないということだ。

年金 独立を武力で抑える選択肢を手離すこともない。中国自身が「帝国」を卒業して主権国家になる気配さえない現在、台湾有事を避ける方法としては、台湾の独立を回避し、中国を「帝国」のままにしておくことが最有力ということになり、アメリカもそれを望んでいるように見える。

 しかし、両国とも「帝国」の伝統を引きずりながら、一方で、現在の世界を構成する主権国家のシステムの中で動かざるを得ず、「同質性を強要する」振る舞いも見せている。

 「同質化」は「異質性の排除」によって成り立つ。主権国家が「帝国」よりはるかに厳密な国境線を引くのはそのためだ。中国が尖閣諸島の領有権を執拗に主張するのも、ロシアが北方領土の返還に応じないのも、そうした近代的な「同質性」のあらわれということができる。中国がウイグル自治区で住民を弾圧して進める「漢化」は「強制的に同質化する」事例のひとつといっていい。それらは帝国と主権国家の「悪いところ取り」をしているように映る。