専業ババ奮闘記その2 整理①
コロナ禍なので、身内だけで葬儀を済ませた。我が家の3人、義姉と2人の姪の家族、娘一家だけで。長男は帰ると言って聞かないが、県外者との接触があると全員2週間身動きできなくなるからと説得し、断念させた。しばらくは、「新聞で見た」と言って、近所の人たち、昔からの知り合いが弔問に来られ、家を空けることができなかった。
入院、そしてショートステイと4箇月余り、義母の居ない3人の暮らしが続き、その延長線上の日常が続いているだけなのに、心の中のある部分がすっかり抜けてしまっている。今頃また「帰りたい」と職員さんを困らせていないだろうかと心配することがなくなった。「紙オムツをそろそろ補充しなくては」と気を回すこともない。ただ、「居なくなった」ということが、常に頭の中に居座っている。わずか10日ほどの間に、学生時代共に汗を流した同期、義母と身近な死が続いたから余計かもしれない。時間の流れに身を任せながら、宙を遊泳しているような心持ちでいると、40数年前のことを思い出してしまった。
同じように寒い時季、しばらく所在不明になっていた父の死が知らされた。突然、変わり果てた姿を目の当たりにしたせいか、受け入れるのに時間を要した。半年くらい滞っていたように思う。視界の隅に黒い影のようなものが時折現れるし、今でも思い出すと悪寒が走る不気味な夢を見た。自分が土の中に埋められていて、じわじわと体液が身体から染み出ていく。身体は死んでいるのに、意識だけははっきりしている。何とも言えない不快な感覚が続いたかと思うと、突然意識が途切れた。すぐに目が覚めたので、一瞬のことだったが、自分という意識が無くなり、漆黒の闇に吸い込まれる恐怖は忘れることができない。
その頃はまだ母が居たし、職場の先輩方や初めて受け持った子たちに支えられ、また、「風と共に去りぬ」全五巻に助けられ、何とか長いトンネルを抜け出すことができた。
義母とは、実の母との暮らしの倍近くを過ごした。生きた時代も育った環境も違い、すれ違いは多々あったけれど、何せ共に生活した時間の蓄積が大きいのだ。雲の上を歩くような日々は当分続くだろう。しかし、時は容赦なく流れて行く。寛大の入学、宗矢の保育園入所が迫っている。心の整理はひとまず置いといて、物の整理はすぐにでも取り掛からなくては。