ニュース日記 825 プーチンの事情とロシアの事情

 

30代フリーター やあ、ジイさん。ロシアのウクライナ侵略が始まって間もないころ、プーチンの精神状態に異変が起きているのではないかという指摘があった。

年金生活者 もしそうだとすれば、私なら強迫性障害を疑う。プーチンはマクロンとの会談で、コロナ感染防止のためとして何メートルも離れて座っていた。これは強迫性障害の特徴のひとつである「不潔恐怖」のあらわれのように見える。

 そう考えたのは私自身に強迫性障害の傾向があるからだ。家を出たあと、エアコンの電源を切ったか気になって引き返したり、書いた書類が間違っていないか何度も読み返したりすることがある。

 その背後にあるのは、この世界の仕組みがよくわからないという不安の強さだ。だから、世界の掟に寸分たがわず従おうとして「確認行為」を繰り返してしまう。

30代 プーチンがそんなことをしているという情報でもあるのか。

年金 彼がKGBの仕事に就いたのは、世界の隠された仕組みをすみずみまで知りたいという衝動があったからではないか。つまり世界がよくわからないという不安を人一倍抱えていたことが考えられる。

 「不潔恐怖」にしろ、「確認行為」にしろ、共通しているのは、世界がわからないことから来る不安を解消しようとして「過剰な行動」をとってしまうことだ。ウクライナからもNATOからも攻められそうになっているわけでもないのに戦争を始めたプーチンの振る舞い方は、そうした「過剰な行動」の最たるものということができる。

30代 強迫性障害は好戦的であるかのように聞こえ、患者を傷つけかねないぞ。

年金 プーチンがウクライナに戦争を仕掛けた最大の理由はナショナリズムをあおって、自らの独裁体制の危機を突破することにあった。ウクライナもNATOもロシアを攻める気がなかったのが明瞭である以上、そう理解するのがいちばん納得しやすい。

 それでも疑問は残る。その危機は戦争という膨大な代償を払わなければ超えられないほどのものなのかという疑問だ。現在の世界で独裁体制の危機を乗り超えるために内戦を続けている国はあっても、ロシアのようにあからさまな侵略戦争を始めた国はない。

 強迫性障害の特徴である「過剰な行動」のひとつが、プーチンの場合はいろんなめぐりあわせでウクライナ侵略戦争となった考えることができる。

30代 戦争はプーチン個人の事情だけでは始められないはずだ。

年金 国家の事情があったと考えなければならない。それはロシアが「帝国」の伝統をいまなお保持していることだ。帝国は他国を独立した国家としてではなく、自国に従属する臣下のように扱う。それによって形成されるピラミッドが帝国の統治の骨組みとなる。

 どこか臣下の国家がそこから抜ければ、ピラミッドはぐらつき、帝国の統治は危うくなる。ロシアにとってウクライナはピラミッドから抜けかけた国家に相当する。民主化を進め、対等な関係にある主権国家群の一員として振る舞い始めたからだ。

 世界のシステムが「帝国」ではなく、主権国家を単位としている現在、ロシアもウクライナと同じ道を行けば、今より豊かになるはずなのに、「帝国」意識がそれを妨げている。それは身の丈に合わない「過剰な意識」であり、それが戦争という「過剰な行動」を導く一因となった。

30代 「帝国」といえば、中国だってそうだった。

年金 違いは中国が「世界帝国」だったのに対し、ロシアは「地域帝国」だったことだ。さらにロシアは「帝国」でありながら、文明において西欧の「辺境」のような地位にあった。プーチンの侵略戦争にはそのハンディキャップが影を落としているように見える。

 日本の歴史を中国という「帝国」の「辺境」の歴史として見ると、「帝国」に過剰に忠実であろうとしたり、その反動で過剰に逆らおうとしたりしてきた経緯を理解しやすい。朱子学が江戸幕府の官学となったことは「過剰な忠実」の象徴であり、近代の中国侵略は「過剰な反抗」の噴出だった。

 「帝国」の難解な文明がいつも不意打ちのように流れ込んで来る。よく理解できないから、とにかく寸分たがわず真似をしようとする。その繰り返しが「過剰な忠実」を強いたと言える。江戸時代には大ざっぱな時間感覚しかなかった日本人が、明治になって西洋から鉄道が導入されると、世界でも有数の時間厳守の国民になったのはその一例だ。

 「過剰な反抗」の大もとにあるのも「過剰な忠実」の場合と同様、やはり流入する文明の難解さだ。わかりにくさはときとして得体の知れなさとして感じられるようになり、それが「過剰な猜疑心」を招き、「過剰な反抗」となってあらわれる。

 ロシアが西欧の「辺境」の地位にあったと言ったのは、18~19世紀のロシア貴族がフランス語を話していたことなどを指す。この「過剰な忠実」はその反動として「過剰な反抗」「過剰な猜疑心」を育てたはずだ。ウクライナに「中立化」「非武装化」「非ナチ化」といった「過剰な要求」を突きつけ、拒まれると武力に訴えたロシアの振る舞い方にそれを感じないわけにはいかない。