ニュース日記 823 「熱い戦争」と「冷たい戦争」

 

30代フリーター やあ、ジイさん。世界の戦争の「本流」は、破壊と流血をともなう「熱い戦争」から、抑止力を競い合う「冷たい戦争」に移った。その理由のひとつは核兵器が使えない兵器となったことにある。ジイさんはしきりにそう言っていたが、プーチンはそれを次々とくつがえしていっているように見える。ウクライナに大がかりな「熱い」侵略戦争を仕掛け、核の使用まで示唆している。

年金生活者 戦争の「本流」が「熱い戦争」に逆戻りし、核はふたたび使える兵器となるのか。期待も交じえて言うなら、そうはならないだろうと考えている。ロシアは侵略戦争を続ければ続けるほど泥沼にはまる。それにはアフガニスタン戦争、イラク戦争の先例がある。それによって軍事的に弱ったアメリカは「熱い戦争」から遠ざかった。ロシアに対して軍事的な対抗を初めから放棄していることにそれがあらわれている。

 もしプーチンがウクライナで通常兵器による戦争に行き詰まり、ウクライナかNATO諸国を核攻撃したらどうなるか。それでもアメリカは核で報復することを避けようとするだろう。ヨーロッパを核の戦場にすれば、勝者なき第3次世界大戦になるかもしれない。プーチンが今度の戦争で核使用を示唆したとき、バイデンが取り合わなかったのも、報復を避けたい意思のあらわれと見ることができる。

 また、プーチンが核使用に踏み出しそうなったとき、アメリカの核報復を恐れるロシア国民が死に物狂いで彼を権力の座から引きずり降ろそうとする可能性も想定できる。大きな流れとしては「熱い戦争」「核戦争」が世界の戦争の「本流」に戻る兆候は見られない。

30代 ウクライナは自国の上空に飛行禁止区域を設けるようNATOに求めていたが、拒否された。

年金 飛行禁止区域を設定すれば、NATO軍機が監視飛行をするので、ロシア軍機を攻撃することがあり得る。「そんなことになれば、欧州で本格的な戦争になる」とNATO事務総長のストルテンベルグは言い、米国務長官ブリンケンも「バイデン大統領は、ロシアと戦争はしないと明確に言っている」と同調したと報じられている(3月5日産経新聞ウェブ版)。

 ウクライナ大統領ゼレンスキーは「あなたたちの弱さのせいで、人々が死んでいく」とNATOを非難したという(3月5日産経新聞ウェブ版)。ウクライナの苦境を背にした彼の訴えは多くの共感を集めるに違いない。ロイター通信の米国での世論調査では、74%がNATOによる飛行禁止区域の設定を支持すると答えている(3月5日時事ドットコムニュース)。

 だが、NATOがこれに同調することはないだろう。それをすればロシアとの核戦争のリスクを負わなければならない。NATOの最大の使命は「熱い戦争」を避け「冷たい戦争」を遂行することにある。世論に同調すればその使命に背くことになる。国家ではないNATOは個々の国家の国民世論に従う必要もない。

 第2次世界大戦を最後に「熱い戦争」は世界の戦争の「傍流」になった。ロシアのウクライナ侵略はこの「傍流」の川幅を先日までよりは広げた。それが「本流」になるほど広がると予測し得る理由は見つからない。

30代 ロシアのウクライナ侵略をめぐって橋下徹が、戦うのか、逃げるのか、降伏するのか、といったことを考えていくのが、国家運営、戦争指導だ、という趣旨のことをテレビの情報番組で発言し、右からも左からも批判されている。

年金 人命を優先する「冷たい戦争」が「本流」の時代には必然的に出てくる主張と言うことができる。

 橋下は「国防は戦争が始まるまでが勝負で、軍備力を強化して、それから軍事同盟を強化して、それこそ核兵器も持つ、ないしは米軍基地をしっかり置く。こういうことで戦争にならないようにきちっと態勢を強化することが重要」と番組で語ったと紹介されている(3月6日スポーツ報知ウェブ版)。

 彼はロシアの侵略を「ある意味、究極の災害」と言い、「できる限り多くの人が逃げる、国外退避させることに西側諸国は力を入れないといけない」と説いている(同)。戦争を「災害」ととらえ、「避難」に力を注ぐことを訴える主張は、国家の大義よりも人命の尊重を優先する考えと言っていい。そこから「『ウクライナ頑張れ』って、いつまで頑張らせるのか。最終的には国際社会がプーチンと話をするのか。政治的な妥結で解決するしかないと思います」(同)という考えが必然的に導かれる。

 こんな主張が宗教的な絶対平和主義者や急進的な左派からではなく、保守派の元政治家から出てくるところに「熱い戦争」が「傍流」となった世界の現在が示されている。

30代 橋下の発言に右のほうからは「私は、きわめて複雑な事情を考慮しながらも、戦い続けることに意義をみます」(細谷雄一)などの異論が、左からは「橋下徹がNATOはプーチンに屈服しろと言っている」(町山智浩)といった批判が寄せられている。

年金 私の目には、どちらの視線も、戦争の「本流」の転換という世界史的な変化に届いていないように見える。