専業ババ奮闘記その2 職場復帰準備③
慣らし保育に行くようになってストレスが溜まるのか、週末みんなで我が家に来た時、宗矢は「うーん、うーん」と言って抱っこをせがみ、食事も私の膝の上で。お昼寝するまでほとんど抱っこをしていた。小学校入学が近づき、保育所での昼寝がなくなった寛大を残し、母子3人は炬燵にはまって昼寝。寛大は一人広告で剣を作ったり、鞘をつくったり、段ボールで斧を作ったり。その姿を見ていると、長男を思う。夏は虫、冬になると、毎年違ったマイブームを起こし、ある年は工作にはまって、本を見ながら一人黙々と作っていた。「寛ちゃんは、スイカのおっつぁんに似てるね。おっつぁんも工作が好きで、いろいろ作ってたよ」と言うと、「何作っちょった」と聞く。「一つ取ってあるよ」と言って2階から汽車を持って降りた。蒲鉾板くらいの大きさの板に4個の戸車を打ち付けて車輪にし、その上に厚紙で機関車の形を作り、煙突もつけている。隅々まで真っ黒のアクリル絵の具を塗り、なかなかの出来だったので捨てずに取っておいたのだ。「おっつぁん、すごいね」と寛大。穏やかで癒し系のところも寛大と長男は似ているのだ。
それから2、3日後、宗矢は熱を出し、慣らしの予定を延期したとのこと。ようやく熱が下がり、託児所に連れて行った日の帰りに我が家に寄り、玄関を入って私の顔を見た途端、わあっと声をあげて泣き出した。ずっと堪えていたものが噴き出したのだろう。泣き止むまでただただ抱っこをしていた。
その週末、「宗矢、4月から、実歩と同じ保育所に決まったよ」と、来るなり娘が嬉しそうに言う。「よかったね」とは言ったものの素直には喜べない。お試し段階でストレスを溜めている今の宗矢を見ていると、2か月ほど託児所に通って慣れたところで、また環境が変わるというのは可哀そうだ。しかし、2箇所に預けるのでは娘が大変だ。まあ、実歩が一緒なので、案外慣れるのは早いのかもしれない。寛大など、託児所を含め保育所が3回変わった。親も大変だが、子どもも大変だ。
月末になり、いよいよ娘の職場復帰は迫って来た。義母は周期的に大きな声を出していたのが、大分減ってきているようだ。心にはかかるが、今は孫のことが気がかりだ。