がらがら橋日記 土手を歩く

 

 実家は、相続してぼくの所有となったのだが、今の暮らしを今すぐ変える必要もなく、とりあえず問題先送りでしのいでいる。

 今の住まいを変えがたい理由の一つが、アパートのすぐ前を流れる朝酌川だ。川面の映し出す光や風景を見ながら土手を歩く時間、それはことさらな散歩だけでなく、スーパーや郵便を投函する行き帰りなのだけど、仕事をやめてから、何だかそれがとても愛おしくなってきた。所有している土地じゃないというだけで、一歩アパートを出れば広がっているのだから自分ちの庭みたいなもんだ。ものは考えようで、ずいぶんぜいたくな暮らしをしている。

 夜からの雪がうっすら積もった日、スーパーで特売の野菜を買いに行った帰り、いつもの通り庭を歩いていると、2羽の白鳥がいるのに気づいた。ここに来て5年、白鳥を目にするのは初めてである。この辺りに棲息しているのは、カイツブリやオオバンが主で大きくてゴイサギなので、それの2倍とも3倍ともつかぬ巨軀で悠々と泳ぐ様は、場を圧していかにも真打ち登場といった雰囲気だ。ぼくは、すっかり見とれてしまい、ネギの頭を出したリュックを背負ったまま、その後を追って元来た道を戻ることにした。

 つがいとおぼしき2羽は、交互に首を水中に差し入れては川上へと泳いでいく。何かとせわしないオオバンたちとは違い、所作の一つ一つが何とも優雅に見える。この川で白鳥を目にするなど思ってもみなかったので、2羽はもとより先住のやかましい連中がどのような挙に出るかわからず、目を離すまいとついて行った。途中信号に阻まれたときは見失うのではと気をもんだが、白鳥たちは悠然と遡上を続けている。それがぼくの歩く速さとまったく同じなので、これは端から見ると、いっしょに散歩しているように見えるはずだ。「どうしてそんなことができるんですか!」と誰か通りがかった人が驚嘆してくれるのではないかと期待したが、この得がたい光景を共有する歩行者は此岸にも彼岸にも誰一人いなかった。雪が降る平日の午前中に白鳥の追っかけに興ずる者などおるはずもないか。仕事や用事に行き交う車は、ひっきりなしに通るが、土手を歩かねば川面を見ることはできない。すぐ側を擦れ違っておりながら誰もこれを見ないとは何とも残念だ。

 がらがら橋の近くでぼくは足を止め、2羽の後ろ姿を見送った。白鳥が現れてくれたようでいて、実はぼくの方が歩くことで生き物たちのリズムに同期できたのかもしれないと思った。そういえば、ちょっと前にはヌートリアと散歩したのだった。