ニュース日記 819 憲法9条は世界をどう変えたか

 

30代フリーター やあ、ジイさん。「私の祖国日本は、第二次大戦の後自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の中で唯一、今日までいかなる大きな惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました」。石原慎太郎が死んだ日、彼がかつてこんな言葉を残していたことをツイッターで知った。2016年五輪を東京に招致するため、IOC会長に宛てたメッセージだ。現憲法の破棄を主張していた石原が仇のような現憲法を日本のアピールに使っていたことに、それを引用したツイートの主も「石原慎太郎最大の謎」と書いている。

年金生活者 石原が憲法、とりわけ9条の持つ、あなどりがたい「威力」を洞察していたことの証左とも言える。

 「威力」の源泉は戦後の日本国民が非戦・非武装の理念を自らのアイデンティティーとしたことにある。だからこそ、その破棄は日本国民のメンタリティーを一変させると石原は考えていたと推察される。

 五輪招致のために背水の陣を敷いていたと思われる石原は不本意ながらその威力に頼らざるを得なかった。憲法9条は現在の日本国が世界に向かって自らを表現し得るほとんど唯一と言っていい国家理念だからだ。ナショナリストの石原は招致にあたって日本の数々の伝統をアピールしたかったに違いない。しかし、皇室にしろ、武士道にしろ、茶の湯にしろ、ローカルな魅力は備えていても、世界中の人びとが共有し得るような普遍性は備えていない。

30代 9条のような条項のある憲法を持つ国は日本以外にない。その意味では9条だってローカルだ。

年金 9条がなかったら世界はどうなっていたかを考えれば、そうでないことがわかる。東西冷戦はもっと長引いていただろうし、中国も今ほどの経済大国にはなっていなかっただろう。

 保守本流が主導した自民党政権は、軍事力強化を促すアメリカの要求を9条を盾に退け、軽武装と経済優先の路線をとり続けた。それが目覚ましい高度経済成長をあと押しし、東西冷戦で西側を優位に導くのに貢献をした。

 東西冷戦は敵国の国民の生存と生活を破壊する軍事力を競い合うだけでなく、自国の国民の生存と生活を豊かにする経済力を競い合う戦争だった。人びとを幸せにするのは「資本主義」か「社会主義」かというイデオロギーの戦いを最終的に決したのは、軍事力ではなく経済力だった。

西側陣営で発達を続けた資本主義は、第2次産業を牽引車とする産業資本主義から、第3次産業を牽引車とするポスト産業資本主義に転換した。「社会主義」と名づけられた統制経済は、軍隊のような規律に支配された工場での生産を中心とした産業資本主義にはわりと適していたが、自由な発想によってしか生まれないイノベーションを絶えず迫られるポスト産業資本主義には向いていなかった。これがソ連を中心とした東側諸国の経済発展を遅らせ、統制経済を固守する体制の崩壊を招いた。

 世界の資本主義の発展に大きく寄与した日本の戦後の高度経済成長は、軍事上の負担を大幅に免れ、持てるリソースを経済に注ぎ込んだ結果であり、それを可能にしたのが9条の非戦条項と、それとセットでアメリカが日本に押しつけた日米同盟だった。

 それらがなかったら、世界の資本主義の発展は今よりは遅れ、したがってソ連の崩壊ももっとあとになっていていただろう。外資の導入によって進んだ中国の資本主義化も今ほどは進まず、夏冬2回の五輪を開催するほどの大国の姿を私たちは見ることがなかっただろう。

30代 風が吹けば桶屋がもうかる式の話に聞こえる。

年金 憲法9条はイエスがかけられた十字架に似ている。イエスはその上で死ぬことによって人類の罪をあがなった。9条もまた戦争という人類の罪をあがなう役目を与えられた。キリストの磔刑に相当するのが9条の永遠の「武装解除」という刑にほかならない。

 この条項は戦争を引き起こした日本国に戦勝国が科した刑であり、戦後の日本国民はそれに進んで服することによって、自らのアイデンティティーを維持してきた。同時に9条には日本国民だけでなく、戦争を止められなかった全人類の罪を償う刑としての意味が隠されている。それは隠された「神話」であり、それが日本だけでなく世界各国に戦争をためらわせる「威力」を9条に与えている。

30代 アメリカが日本に9条を押しつけたのは、日本を軍事的に無力な国にし、二度と自分たちに逆らうことができないようにするためだったんじゃないのか。

年金 「武装解除」を占領期間中の一時的なものではなく永久のものにするには普遍的な大義名分がいる。それが「恒久の平和」(日本国憲法前文)すなわち非戦・非武装の理念にほかならない。

 だが、それは日本に対する一方的な断罪と非難される余地を残している。アメリカは日本への無差別爆撃や原爆投下といった自らの行為に対するひそかな罪責感を払拭することができなかったはずだ。そのため、その罪をあがなう役割を、9条という名の「武装解除」の刑に無意識のうちに、あるいはひそかに与えたと理解することができる。