がらがら橋日記 振り子時計
家の周りの植栽や鉢物がすっかりなくなってからも何日かおきに実家に通っている。水遣りも必要なくなったので格別用事はないのだが、人が住まなくなると空気が滞留してあっという間に傷むと聞くので、換気を目的に行く。町内でうちの筋だけでも数軒同じような家があるし、同世代と話すときの主要な話題の一つなので、実家の空き家問題に悩む人は、かなり多いのだろうと思う。
ご近所の空き家はいずれも遠方から通ってこられるので、それに費やさねばならぬあれこれのエネルギーは、ぼくの比ではあるまい。県外から実家の様子を見に帰ってきていた娘さんとたまたま出くわし、家の前で立ち話をした。彼女はところどころスルメみたいに反っくり返った障子を見ながら、「どうしようもなくて…」とため息をついた。
窓を開けて空気が流れ始めたのを感じると、次は柱時計をチェックする。家と同い年のはずだから、この振り子時計も還暦が近い。ぜんまい式の愛知時計で、巻いて三十日が近づくと中央に赤い○が現れる仕掛けになっているのだが、このごろはすっかり鷹揚になって知らせてくれなくなった。
振り子が止まっているのを目にすると、なぜかぜネジを回さずにはいられない。人のいなくなった家で時計まで止まると、まるで心拍計が止まってしまうみたいだから。
ぎこぎこと巻き終わると、人差し指を長針に当て、くるくる回して時間を合わせる。十二を越えると、一旦指を止め、短針の差す時間に合わせてボンボンと鳴るのを聞く。打ち終わるのを待ってからまた指を回す。そうしないと壊れると思い込んでいる。よく聞くと時間より一つ二つ打つ数が少ない。しれっと手を抜いてくるところが年の功である。
でも、父のこの家での最後の夜は、正確に時を打ってくれた。真っ暗な寝間の中で、父の苦しそうな息づかいと振り子の音を重ねて聞いているうち、鉦は一つずつ数を増やしていった。ぼくはそれを数えながら、すべきことを整理できたのだった。
先日、県内のとある老舗温泉旅館に泊まったら、改修した渡り廊下の壁面にうちのと同種の柱時計がずらっと並べてかけてあった。ただどれも十二時を指したまま止まっている。レトロな調度をあちこち配した主人の趣味に違いないと思って聞くと、
「いや、違うんですよ。客室で使っていたんですがね、お客さんがやかましくて寝られんって言われるので、外したんです。」
ということだった。