ニュース日記 818 「医療権力」の後退

 

30代フリーター やあ、ジイさん。新型コロナ対策を社会経済を止めない方向に切り替える提言を専門家が相次いで出し、それを政権が後追いしている、と朝日新聞が報じている(1月30日朝刊)。全員入院方針の見直し、濃厚接触者の待機期間の短縮に踏み切ったほか、感染が急拡大した場合は、感染の疑いがあっても、重症化リスクが低ければ医療機関を受診せずに自宅で療養することも可能とした。専門家らは外出自粛などによる「人流抑制」ではなく、感染リスクの高い場面での「人数制限」が有効との提言案をまとめたとも報じられた(1月21日朝日新聞朝刊)。

年金生活者 これまでコロナ対策で思うがままに振る舞ってきた医師会や病院業界など、私が「医療権力」と呼んでいる医療業界がオミクロン株の拡大で後退を余儀なくされたことを示している。

 「人流抑制」から「人数制限」への転換については、翌日になって「各都道府県知事の判断により『人流抑制』を加味することもあり得る」という一文を加え、政府に出したと報じられている(1月21日朝日新聞デジタル)。「外出自粛」を呼びかけている自治体などからの批判をかわすためと見られ、本音は「人流抑制」より「人数制限」にあると推察される。「外出自粛」を呼びかけても当初ほど国民が従わなくなっていることが背景にあり、国民の行動を制限する力がそれだけ弱まったと言える。

30代 案外もろいところのある「権力」だな。

年金 背景には資本主義の高度化とともに進んだ国家からの権力の分散という世界史的な流れがある。消費の過剰化が個人への、産業のソフト化・デジタル化が企業(市場)への、資本のグローバル化が国連など国家間システムへの権力の分散を駆動した。

 「医療権力」は国家権力とは別の権力だが、国家なしには成り立たない。医療機関の特権を保障する法の制定や医療従事者の養成などは国家が担っている。それは立法、行政、司法と並ぶ第4の権力と呼ばれるマスメディアが国家の存在なしには成り立たないのと似ている。「メディア権力」とも呼ぶべきマスメディアは国家の広報を担うと同時に、その振る舞いをチェックする役割を担う。3権が依存し合いながらチェックし合っているのと同様だ。

 である限り、「医療権力」も「メディア権力」も、国家からの権力の分散とともに、おのれの一部が分散していくのは免れない。「医クラ」(医療従事者の集合を指す「医療クラスター」の略)とか「マスゴミ」といった両権力に対する揶揄、非難を含んだスラングの流布がそれを示している。

30代 受診しないで自宅療養も可能としたのは、条件付きながら、コロナを普通の風邪並みに扱うことに転換したことになる。

年金 国民を隔離、拘束し、生活の仕方を指図するなど、個人の自由を大幅に制限してきた「医療権力」がオミクロン株の拡大を前にして、そうした制限が自らの首を絞めることになるのに気づいた。

 感染がさらに拡大し、たくさんの人たちが次々と医療機関にやってくれば、「医療逼迫」が避けられなくなる。それは「医療権力」の足もとを危うくし、力をそいでしまう。

 これまでそれを防ぐ手段として「医療権力」がとっていたのは、国民に「外出自粛」などの行動制限を迫ることだった。「逼迫」しない医療供給体制の構築は放置してきた。既得権益を守り、自らの力を保つためだ。だが、いくら外出制限をしても感染の拡大は行くところまで行かないと止まらないことがわかり、国民も自粛要請に以前ほど応じなくなった。

 そこへオミクロン株の急拡大が始まった。「自宅療養も可能」という言葉でくるんだ事実上の受診制限は、2年ものあいだ自らの変革を避けてきた「医療権力」がとった非常手段と言える。それはこの権力がこれまでのように国民の行動の仕方を指図することができなくなったことを意味する。

30代 そうした医療側の方向転換に岸田政権は追随しているわけだ。

年金 医療への信頼が厚いわが国民の多くは、「医療権力」の方向転換も支持するだろう。日本経済新聞の世論調査(1月28日~30日実施)では、新型コロナウイルスの感染症法上の分類を見直すべきかとの問いに対し、季節性インフルエンザと「同じ扱いにすべきだ」との回答が60%と半分を超えている。結核並みの隔離措置が必要な現在の位置づけを「維持すべきだ」は31%だった。世論を気にする政権としては専門家の提言に逆らうわけにはいかない。これまで「ゼロコロナ」路線をとっていたのも世論を気にしてのことだった。

 ただ、受診なしの自宅療養には「感染が急拡大した場合」という条件が付けられている。これは見ようによっては、風邪並みの感染症でも国民を隔離、拘束し、自由を制限する余地を残しておこうとする「医療権力」の意思を感じさせる。

 そうであっても、いずれコロナは風邪並みの扱いになるときが来る。それは「風邪並み」が証明されたときではなく、国民がそれを受け入れたときだ。それには「医療権力」によるお墨付きと政権による追認が条件となるだろう。