がらがら橋日記 シャコバサボテン

 

 あと二月もすれば父の一周忌を迎える。この一年は、住人のいなくなった実家のかたづけを一気に進めた。亡くなったのを合図にしたと思われるのもなあ、とご近所の視線が少々気になったりもしたが、少しでも間を開けるとうんと先延ばしすることになりそうで、区切りが付くまでは休むまいと決心して我ながら地道に取り組んだ。家の中は、子どもに「引っ越しするみたいだね」と言わしめるほどに思い切った。外回りは、自力というわけにいかず業者に依頼した。

「ほんとにいいですか。捨てちゃって。」

と大工さんたちに何度も念を押された植栽や盆栽も、ごっそりとかたづけてもらった。たった一鉢、あれもこれも積み込まれた軽トラから何の考えもなしに蝦蛄葉サボテンを抜き取っただけで。

 工事が始まったのが秋だったので、それまでの半年は水遣りに通った。毎日見ていれば、ずぶの素人であろうと変化には気づくもので、痛んだ葉っぱを見つければ、父の残した道具を使ってチョンチョンと摘んだりした。それでも月日が経つにつれて、少しずつ色艶をなくしていくのを認めざるを得なかった。

 時々、ご近所のお年寄りが通りかかったついでにぼくの隣で立ち止まり、「えらいねえ」だの「ご苦労様」だのとねぎらってくれたのだが、色が鈍くなり始めた五葉松の前では、

「やっぱり話しかけーもんがおらんやんなあとねえ…」

とつぶやくのだった。

 自然はその美しさを人間に褒めてもらいたいのだ、そんなふうにうたった詩人のことを思い出す。父の慈しんだ植物たちをぼくのおざなりな眼差しで失望させてしまったってことなのかもしれない。だが、残念だけれど、ぼくは父と同じような関係をこの木々たちと作れそうにない。父が亡くなった時点で、木々たちの役割も終わったのだと思うことにした。

 立春の前の日に、業者から施工終了の連絡が届いた。希望したとおり、家の周囲から植物も石も鉢もすべてなくなった。ブロック塀もなくしてがらんとした玄関先に立つと、思った以上にさっぱりした気分になった。

 蝦蛄葉サボテンは、残したものの、世話をする意欲も知識もまるでなく、玄関に置いたままほったらかしだった。にもかかわらず、しばらくするとすべての葉先に花芽を付け深紅の花をびっくりするほどびっしり咲かした。いい加減な放任主義と相性がよかったものらしい。お見事、と言いたくなった。相手は、褒めてもらわなくても別に、ってところだろうけれど。