ニュース日記 814 「大きな政府」と「ゼロコロナ」
30代フリーター やあ、ジイさん。日経平均株価の昨年末の終値が2万8791円71銭と、バブル期の1989年末以来32年ぶりの高値となり、年明けの大発会ではさらにそれを510円08銭も上回ったと伝えられている。暮れの朝日新聞の世論調査では、岸田内閣の支持率は49%と、発足直後の45%を上回った(12月21日朝刊)。支持率が右肩上がりの政権は珍しい。分配に重点を置く岸田政権の「大きな政府」路線が市場からも、世論からも支持されているということになる。
年金生活者 もうひとつ内閣支持率を押し上げる要因となっているのがこの政権の「ゼロコロナ」政策だ。これは「大きな政府」と相性がいい。個人や企業の行動を制限し、それにともなう損失を補償するため財政赤字による再分配を進めるのが「ゼロコロナ」政策だからだ。
これから先オミクロン株の感染が拡大しても、岸田内閣は前政権や前々政権ほど支持率を落とすことはないだろう。この変異株は重症化のリスクが低いうえに、岸田文雄自身が「やりすぎのほうがまし」と言う厳しめの対策が国民に安心感を与えるはずだからだ。「ゼロコロナ」を基本としながらも、「やりすぎ」に注意したために、感染拡大に連動して支持率を落とした安倍・菅政権とは異なる推移をたどる可能性が高い。
30代 「ゼロコロナ」「大きな政府」は野党第1党の立憲民主党なども同じだろう。
年金 「政策立案型」の野党への転換をはかる立憲にとっては、「立案」した「政策」がさっそく政権に受け入れられたと言えなくもない。もっとも、それは野党を勢いづかせるよりも岸田政権を安定させる方向に作用しそうだ。
もともと「大きな政府」は戦後の日本の政治の基調だった。「小さな政府」路線に傾いたのは小泉政権のときくらいだ。米英とは違うこうした「大きな政府」への偏りは、私たちの国家の特性がかかわっている。
30代 日本はそんなに特殊な国家なのか。
年金 吉本隆明は国家を大きく3つの類型に分けている(『中学生のための社会科』)。第1類型の国家は「住民は無意識のうちに『国家』というものは『社会』やそこで日常生活を送っている人々をすっぽりと覆いつくしているものとみなしている」。東洋の諸国家がそれに属する。
第2類型は西欧の先進国が典型で、「『国家』といえば『政府』およびその実務機関である諸官省庁だけを指し、『社会』はその下にあって人々が日常生活を営んでいる場所で、はっきりと『国家』とは別のものであると考えられている」。
そして第3類型は「『国家』と『社会』がはっきりした境界をもたないで、総体として一つの共同体になっている」。これは未開の地域に見られる。
日本の国家は第1類型に属し、「国家」が「社会」を包み込んでいるとみなされているという意味で「大きな政府」の国家と言える。それが政党も国民も「大きな政府」政策に傾きやすい歴史的な要因と考えることができる。
30代 岸田政権は安倍・菅政権にくらべてそうした伝統により忠実で、それで支持率を上げ、野党からも厳しい追求を受けないで済んでいるということか。
年金 岸田政権と安倍・菅政権の大きな違いのひとつは、コロナ対策で前者が支持率を上げたのに対し、後者は支持率を下げ、最後に退陣にまで追い込まれたことだ。
「やりすぎのほうがまし」と「ゼロコロナ」路線を明確にして支持率を上げることに成功した岸田政権は、GoToキャンペーンにこだわるなど「ウイズコロナ」に未練を見せて国民の支持を失った安倍・菅政権と対照的と言っていい。
安倍・菅政権も基本は「ゼロコロナ」路線だった。「ゼロコロナ」一辺倒の医師会や病院業界――私が「医療権力」と呼んでいる医療業界の言うことを聞かなければ、コロナ対策を実行に移せないばかりか、医療への信頼が厚い国民の信用を失うおそれがあるからだ。
だが、安倍晋三も菅義偉も「ゼロコロナ」を目指すあまり個人や企業の行動制限をきつくして経済に打撃を与えることを恐れた。アベノミクスを旗印に二人三脚で長期政権を維持してきたふたりは、経済優先こそが国民の支持を得る政策であることを経験上よくわかっていた。GoToトラベルの実施に固執したのもそのためだ。
30代 岸田文雄は同じ轍を踏むことを避けたわけだ。
年金 経済をあと回しにしてでも「ゼロコロナ」を目指すことにした。もし緊急事態宣言を出すようなことになっても、直接ダメージを受けるのは飲食、旅行、イベントの業界などに限定され、国民の大多数は大きな影響を受けないことを織り込んでいるはずだ。
「やりすぎ」の効果にはおまけもついた。大学入試ではオミクロン株の濃厚接触者には当日受験を認めなかったり、日本に到着する国際線の新規予約を12月末まで止めるよう航空会社に要請したり、「やりすぎ」の方針を出したあと、批判されて撤回し、「聞く力」をアピールすることもできた。
そういうわけで、普通の風邪に限りなく近いと考えられるオミクロン株に、大勢の生活が制約される毎日がこれからも続くだろう。