専業ババ奮闘記その2 義母の病気⑤
夫と交代で病院に通う日々、面会の時間じゅう眠っていることもあれば、ベッド横に据えられたポータブルトイレに座っていることもあり、病室に近づくと、「かんごふさーん」の声が聞こえることもあった。ブザーを押すように言われても、結局壁を叩いたり、声をあげたりするらしい。「背中が痛い」と言われた日のこと。しばらく背中を撫でた後、布団を掛けなおそうとしたら脚が見えた。「腫れが引きましたね」と言うと、「智恵美さんの脚みたいになったわ」と笑顔を見せる。熱いものがこみ上げ、つい目頭を押さえてしまった。
土日を除いての放射線治療(25日間)が始まり、リハビリでは立ったり座ったりの練習をしているとのこと。
術後二週間ほど経った日、以前ケアマネさんに頼んでいた介護認定のための調査員が病室に来られることになった。夫から、「俺じゃ分からんけん、あんたが対応して」と言われ、立ち会うことに。約束の午後2時前に病室に入ると、昼食に手を付けた様子はなく、マスク姿で近寄ると、「お茶ください」と言われる。マスクを外すと、「智恵美さんか、どこ行っちょったかね」ようやく私だと気づいたようだ。お茶を入れ、昼食を促すが、箸をつけようとしない。持ってきた好物のスイカを出すと、「夢にぼたもち」と、ぺろりと平らげた。
調査員さんが病室に来られたので、傍にいて、私に確認される時は頷いたり、首を振ったり。驚いたのは、「ここはどこですか」の質問に、「施設」という言葉が出たことだった。近所の人の姿が見えなくなったり、デイサービスの人が来られなくなったりした時、「どうも施設に入られたらしいよ」「病院からそのまま施設に行かれたのかなあ」などの話題には出ていた。そんな時、頭の中では自分もいずれはということも考えていたのだろうか。その後、看護師の姿を見て、「あ、病院か」と言い直した。
担当看護師との面談にも立ち会った。昼夜逆転、壁ドンドン、時々、「智恵美さん」と呼ぶこと、食事、着替え、トイレの様子は家とほぼ同じような状況だ。
その後、夫と一緒に医療ソーシャルワーカーさんと話した。放射線治療後は、ショートステイなどの施設へという方向になり、空きを探すとのこと。話は進んでいくが、心が追い付かない。