がらがら橋日記 外浦②

 

 浜田市内に入ると、「外浦・日本遺産」という大きな道路表示が目に付いた。

 日本遺産というのは六年前に文化庁が打ち出したもので、国連の世界遺産に倣った日本版の文化財による町づくり推進事業だ。奥出雲にいたとき、知人の文化財担当者が「たたら」をテーマに日本遺産登録を目指して奔走していた。会えば互いにからかわねば気の済まぬ間柄だったが、登録が決まって喜んでいるのを見たときは、さすがに茶化せなかった。

 外浦は、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」というテーマで選定されており、北海道から島根までの日本海沿い全県に広島、岡山とかなりの広域にわたった選定箇所の一つである。西廻り北前船の風待港、また瀬戸内方面への中継地点として栄えた、江戸時代そのままの湾の風景が残る貴重な入り江だ。

 ただし、こんなことは、後になって調べて初めて知ったことであり、N君と車から表示を見た時点では何一つ知らず、「何だそれ」と心に浮かべたがせいぜいで、車中の話題にもならなかった。実は、浜田は30数年前に3年間ほど勤務も生活もした場なのであるが、恥ずかしいかな外浦については一度も耳にも目にもしていない。

 今回の旅の目的地心覚院にたどり着いてみれば、何のことはない無知ゆえに無視した外浦のど真ん中だった。浜田藩縁浄土宗の古刹で、ご本尊阿弥陀如来立像は、海中出現の伝承を持つ石見地方唯一の国指定重要文化財なのだった。快慶に連なる慶派鎌倉中期の制作。拝みに訪れる人が少なくないという。

 応対してくださったご住職に、42年前に受けた恩義を語ると、それは先代住職に間違いないという。今は高齢の上にお連れ合いをなくされ、体調を崩されているということだった。あの時ぼくらを驚かせたS子ちゃんは今も時々寺を訪れるのだという。

「元気な女性でね。」

 そう言って笑う住職を見て、「あのまんま大きくなったんだ」とぼくらも笑いながら顔を見合わせた。

 住職にねだって、泊めてもらった観音堂に入らせてもらう。33年ごとに公開する秘仏を、

「しょうがないなあ。」

と苦笑いしながら見せてもらった。大変なイケメンの観音様だった。お世話になりました、と合掌する。

 なぜあの時、この寺に来たのか、記憶をたどる限りは、やっぱり謎のままだ。でも、おそるおそるなのだけれど、阿弥陀さんに導かれたのだ、と思ってみる。そうすると、何だかとてもいい感じに収まるのだ。

N君作