専業ババ奮闘記その2 義母の病気③

 

 泌尿器科の先生は、義母の身体全体、そして肝心の膀胱の腫瘍についての説明が終わると、今後の治療について話された。

「まずは痛みの元を取らなくてはいけません。全摘するのが一番いいのですが、お歳のことを考えて、内視鏡で腫瘍部分だけを取ります。その後、再発防止に一か月かけて、少量ずつ放射線を当てていきます」

 聞きながら、耳を疑った。えっ、内視鏡で腫瘍切除。百歳の身体に果敢に挑戦するというのか。胸の中のざわめきを抑えつつ先生の話に耳を向ける。当の先生は平然とした表情のまま続ける。「今日が月曜日ですから」と、予定表を確認し、「木曜日に手術をしましょう」と言われた。しばらく待合にいると、看護師さんが入院手続きの用紙を持ってこられた。

ここはコロナ感染患者受け入れ病院だ。病棟に上がる付き添いは一人だけ。入院手続きには夫が付き添い、帰って荷物を準備して届けるのは私と分担することにした。夫が義母の車椅子を押して看護師と病棟に向かい、入り口付近で夫を待つ。その間に正面玄関を入ってすぐのところ、コロナ対応のために設置された受付に貼られている紙を読んだ。基本面会は禁止、着替えなどの搬入、洗濯物取りなどは、午後3時から、15分以内で可となっている。

 インフルエンザ後の肺炎で入院したのは1年半前。やはりこの病院だった。入院に必要な道具を持って行った帰り、体中から力が抜け、雲の上を歩いているような感じだったことを思い出す。仕事帰りの息子に、「お袋、どうした」と聞かれたくらいだ。寝たきりの義母の世話に費やした時間がぱっと無くなってしまったことによる喪失感のようなものだった。けれども、今回はあの時とは違う。先生に示された義母の全身像で、私にはもうどうしようもないことが分かった。体温計や血圧計で対応できはしない。義母の痛み、苦しみは、もはや私が背負いきれるレベルでなかった。医師や看護師に委ねることでしか、義母は救われないのだ。しかも、ここに至るまでが長かった。正直疲れた。ドンドンの音にピリピリする毎日、家族のとげとげした雰囲気、それらから解放される。義母には申し訳ないが、胸の中に溜まりにたまった重しが取り除かれるという思いが勝っていた。