ニュース日記 811 精神衛生のために
30代フリーター やあ、ジイさん。 「マウントを取る」という言い方をネット上でよく見かけるようになった。いつも他人より優位に立つことを求め、それを隠そうとしない人たちが増えているように感じる。
年金生活者 資本主義の高度化が加速する富の稀少性の縮減が、国家の権力の一部を個人に分散させ、それを手にした諸個人が相応の処遇を求めるようになった結果だ。
それが新たな「万人の万人に対する戦い」を引き起こしている。ふだんは表からは見えにくい冷戦として戦われていて、ときどき熱い戦いとなって噴出する。先日、次のような女性のツイートを見かけた。
「また唐突にぶつかってくる男性(白髪)が。地下鉄で手すりに沿って立っていると、わざわざ私の方に立ち寄り、どんっとぶつかってきた。ビクッとしていると、男性は元の場所に戻り、開いたドアから降りて行った…」
ぶつかった男性の精神状態はわからない。「また」とあるから、以前にも同じような経験をしたと受け取れる。だとしたら「万人の万人に対する冷戦」が熱戦に転化した事例と考えることができる。
30代 難儀な時代になった。逆張りして謙虚さを目指すほうが身のためかもしれない。
年金 謙虚になろうと努力しだすと、こんなに努力している俺はあいつよりましだと、それさえも「マウントを取る」材料にしてしまうのが人間だ。水の中で沈もうとすればするほど体が浮いてしまうように、うぬぼれはいつでも、どこでも頭をもたげてくる。
たぶん人はうぬぼれなしには生きられないようにできている。それはやっかいで、ときに危険なことだ。だからこそ謙虚さを目指さざるを得ないと私自身は考えている。それは神の教えに従いたいからとか、倫理的に振る舞いたいからとか、また人づきあいを円滑にしたいからとか、といった理由からではない。謙虚さを欠くと、心が窮屈になり、苦痛を感じたり、つまずいたりする恐れがあるからだ。爪先立って背伸びすると、足が痛くなったり、よろけて転んだりするように。私はそれを怖がっている。
30代 人はなぜうぬぼれるんだ。
年金 人間は欠如を抱えた存在として生まれてくる。それを埋めようとしてうぬぼれる。欠如とは母胎から分離したことそれ自体だ。母子はそれまでひとつの宇宙を形成する一体の存在、欠けるところのない完備した存在だった。
30代 で、どうやって謙虚になるんだ。
年金 信仰はうぬぼれを抑える。絶対的な存在を想定することによって、おのれを相対化し、うぬぼれをくじくことができるからだ。おのれを他力にすがるしかない凡夫と考えた親鸞はそれを実行した。無神論者を自称する私はその道を選ぶことができない。無神論は神の助けなしに生きられると考えている点でもともと謙虚さを欠いている。
それなら、いつでも、どこでも頭をもたげてくるうぬぼれを、モグラたたきのようにたたき続けるしかない。たとえば、他人を疑ったり、責めたりしている自分に気がついたら、そんな自分を疑い、責めてみる。
30代 モグラをうまくたたくコツはあるのかい。
年金 自分の弱い心を守るために、ふだん試みていることをいくつか並べてみる。
【手作業をする】包丁で野菜を切る。洗い物をする。洗濯物をたたむ……それらの作業が、妄想的、強迫的、抑鬱的になっていた精神を自然のほうへ押し戻す。
【礼を言う】憎んでいる相手を思い出して気分が悪くなったら、頭の中でその相手の名を呼び「ありがとうございます」と唱えてみる。言葉は心のアングルを決める働きがあるから、憎しみのアングルが一時的、部分的にせよ感謝のアングルに替わる。
【なるべく迷う】迷ったぶんだけ後悔しないで済む。迷いは事前の後悔であり、後悔は事後の迷いだ。迷いは後悔より痛みが少ない。
【人を見下さない】だれであれ他人を自分より格下だと思うのは危険なことだ。相手が自分より優位に立つ可能性はいつでもあり、そうなったときの衝撃は、対等あるいは格上と思っていた相手の場合よりはるかに大きい。
【今日1日】アルコール依存症者が酒を飲まないために自分に言い聞かせる言葉だ。今日1日だけ飲まないでおこう、飲むなら明日にしよう、と。これはきつい目に遭ったときにも応用できる。苦しいのは今日1日だけ、と。実際にはそうならないとしても、少し気持ちが軽くなり、しのぎやすくなる。
【死を思う】「あれどうしよう、これどうしよう」と思い煩わっているとき「どうせ死ぬんだから」と考えると「どうでもいいかも」という気がしてきて、少し気が楽になる。これは老いることの利点のひとつだ。
【感謝と敬意】嫌いな相手も含めてすべての他者に対して感謝と敬意を抱くことができれば人は無敵となる。そんな人物は見たことがないから、これはあくまでも理想だ。だが、その理想を手離したとき、私の精神はダッチロールを始めるだろう。
こうやって並べてみると、高慢を避け、謙虚になるのが自分の心を守る方法になり得ることに気づく。高慢を駆動力にして様々なことをこなす人物もいるに違いない。私にはそれは危険だ。