がらがら橋日記 自転車7 立杭(2)

 立杭の工房は、そのほとんどが密集していると言っていいのだが、目指した窯元は一軒だけ大きく外れていた。まずはそこからとルートを決めたものの、結果からいうと、そこにたどり着くまでに結構な時間と体力を要したため、ほかの推薦窯元を諦めることになった。

 長い長い坂道を汗だくになって上った末、まだ息も整わぬまま展示室に入る。正面に置かれたスープカップに目がとまった。形も色も少し変わっていて、とんがったデザインに思えた。こういうのほしかったのだと思った。そばにいた職人さんに言って、二つ求めた。じゃんけんもなしで二割引だった。ここに来てよかった、と思った。

 二軒続けてスープカップを求めたのは、退職してからというもの毎日スープづくりをしているからである。老父の食事を作るための思いつきだった。

 父は一人暮らしになってから、亡母のあの味やらこの味やらの復活に余念がなく、顔を出すとしきりと食べさせたがった。

「どげだあかな。ばばが作ってごすよったが。そがかれか?」

 確かに、いったい何日分の塩分を摂らせるのか、と思うようなときもあったが、再現率のかなり高いのもあって、それを言うとうれしそうにしていた。

 料理を楽しんでいるように見えた父だったが、亡くなる少し前からスーパーで買った惣菜がトレーのままテーブルの上に置かれるようになった。

「めんどくさてのお。」

としょんぼりして言うのを気にしつつも、ぼくは仕事を理由に見て見ぬふりを続けていた。

 三月に定年退職した。レシピ本を買い、スープとご飯でほとんどの栄養が足りると知り、これならできそうだと思った。その途端、退職を区切りに、との言い訳がましさを叱るみたいに、父は亡くなってしまったのだった。

 もともとの目的は失ったのだが、妻と自分のために作るうちにいつしか習慣になった。そうなると欲も出て、器も選んでみたくなった。

 旅を終えて帰宅すると、早速丹波焼スープカップ二組を食器棚に並べた。ん?、そういうことか。途端に理解できた。まったく合わない。色もデザインもどこがいいと思ったのだか思い出せない。自分が求めていたのはこれだ、なんて、自転車で坂道を上り続けてくたびれた頭がその対価を求めただけのことだった。皮肉なもので、最初の窯元でささっと選んだカップは妻も気に入って、毎日食卓に並ぶようになった。