ニュース日記 810 日本国民の「自民党愛」
30代フリーター やあ、ジイさん。公文書を改竄され、公権力を私物化され、賄賂を疑われそうな金のやり取りをされて頭に来ていても、投票になると自民党に入れてしまう。そんな衆院選の結果を見ると、日本国民はよほど自民党が好きなんだと思えてくる。
年金生活者 そのメンタリティーは、できの悪い子ほど可愛いという、親の愛に似ている。自民党は不肖の子で、国民はその親にたとえることができる。子はけんかをしたり、わがままを言ったりを繰り返す。親はそれに手を焼きながら、やっぱり可愛いと思わずにいられない。あるいは自民党を放蕩をやめない親に、国民をその子にたとえてもいい。子は怒りながらも、仕事をして自分たちを育ててくれた親を見離すことができない。
そんな繰り返しが破られたのが2009年の政権交代だ。親は「勘当だ」と言って子を家から追い出した。あるいは子が親に「もう一緒にいられない」と言って家を飛び出した。
追い出した子の代わりに迎えた養子はしっかり者に見えたが、一緒に暮らし始めると、勇ましいのは口だけで実は頼りないことが露見した。あるいは、実の親の代わりになってくれた養親は立派に見えたが、約束を破り、果ては子をそっちのけで夫婦げんかを始めた。離れていた実の親子は「やっぱりもとのほうがいい」と復縁した。
30代 日本の社会全体が政治と家族をごっちゃにしたような公私混同をやっているように見える。安倍政権下で起きた政治スキャンダルのほとんどが公私混同の範疇に入るものであることもうなずける。
年金 だが、資本主義のグローバル化と高度化は公私の分離を進める方向に作用しているように見える。政治の場面でその兆候を示しているのが、政党と有権者の関係をドライな契約関係のようにみなす選挙を展開して大阪で自民党を圧倒し、衆院選で議席を伸ばした日本維新の会だ。
30代 自民党にお灸をすえる、とよく言われる。これも政治に親子関係を持ち込んだような言い方だが、今回の衆院選はそのお灸の煙すら見えなかった。
年金 自民党は小選挙区では接戦の末に勝った候補者が多くて肝を冷やしたはずだから、それ自体がお灸になっていると言える。
お灸の最大の理由は、長期にわたる経済の停滞だ。この20年間、実質賃金は先進国の大部分で上がっているのに、日本はほとんど上がっていない。この停滞が将来への不安を呼んでいる。それはいくら給付金をバラまいても消えることはなく、財源の裏づけのないバラマキはむしろ不安を増幅さえしている。将来への不安を取り除くためにも、再分配の財源を確保するためにも、経済成長が不可欠なのに、アベノミクスはそれを果たせず、現政権も確たるビジョンを示していない。
いま自民党は議席数こそ他党を圧倒しているものの、次の選挙でも継続が予想される野党の候補者一本化と、上り調子の維新の勢いによって、いつそれをひっくり返されるかわからない不安を抱えているはずだ。国会はそうした目には見えない緊張をはらんでおり、それが国民の望んだことでもあると考えることができる。
30代 それならもう少し野党が伸びていいはずだ。
年金 今の日本国民が政治で最も嫌うことのひとつが上から目線だ。自分たちを見下す政党や政権を受け付けない。どの政党もそれをよくわかってはいるが、思い通りにいかないこともある。とりわけその党の体質が作用している場合はそうだ。野党第1党と第2党を見ていると、それを感じる。
立憲民主党の体質をひと言で言えば「知識人主導」の集団だということだ。知識を蓄えた者はそうでない者に対して上から目線になりやすい。知識を獲得することは世界を俯瞰する高い足場を得ることだからだ。
自分たちは進んでいて一般国民は遅れている、と意識的には考えていないとしても、無意識のうちにそう感じてしまう危険がつきまとっている。衆院選で議席を減らしたのは国民がわれわれの訴えを理解する力を欠いていたからだ、といった具合に。それはあからさまには出てこないが、選挙の総括や代表選などを通じて国民に伝わる可能性がある。
立憲民主党結成に際して枝野幸男の訴えた「右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです」という主張がいま党の倉庫にしまい込まれているように感じられる。
一方、勢いづいている日本維新の会は「行動者主導」の政党と言うことができる。この党の母体にあたる大阪維新の会は、敗れはしたものの大阪都構想の住民投票に2回もこぎつけたし、他党がバリケードを張って抵抗する中で大阪府議会の定数削減を実行するなど、その行動力を見せつけた。
それが有権者を引きつける力になっている一方で、住民投票での2連敗が示すように反発も根強い。行動力ゆえのおごりが、こわもてあるいは強引さとなってあらわれていると推察される。党勢が上向きの今はそれもある程度帳消しになるが、強気になり過ぎたとき、足もとをすくわれて転んでしまうもろさをはらんでいるように見える。