専業ババ奮闘記その2 義母の異変⑦
我が家の玄関には、上がり口に低い台があり、二段階で上がり下りできるようになっている。玄関の上がり口、義母の部屋に続く廊下に手すりがあり、トイレにも二か所つけている。義母が車椅子を使うようになってからは、玄関まで車椅子で運び、何とか手すりを使って二段を下りてもらい、玄関に置いた椅子に座ってデイサービスの迎えを待つことにしていた。
ところが、ついこの間から義母の左脚が動かなくなり、車椅子から降りることすらできなくなった。そこで、夫はホームセンターに行って材料を買ってきて、急ごしらえで玄関にスロープを作った。車椅子プラス義母の重みに耐えるよう、支えを作り、その上に一枚のコンパネを乗せるのだ。使わない時は取り外せばよい。重い板を運ぶのは一苦労だが、デイサービスや病院に行く時にはそれを組み立て、車椅子ごと義母を移動させることができる。
その日は、娘が三人の子どもを連れて我が家に来ていた。夕方三人を私たちに預け、娘は歯科へ。一時間ほど経って、義母がデイサービスから帰り、組み立てたスロープを使って車椅子ごと家に入るとすぐ、子どもたちがいる台所に連れて入った。夫に宗矢を預け、デイサービスの鞄から洗濯物を出して洗濯機に入れに行った時だ。「お母さーん」と叫ぶ夫の声。慌てて台所に向かうと、ちょうど娘が玄関から飛び込んできたところだった。娘は夫から宗矢をもぎ取るようにして抱き、宗矢は大きな口を開けたまま体をのけぞらせている。これか、と思った。しばらくすると、宗矢は息を吐き出したが、顔は紫色になり、ぐったりと娘の胸に倒れこんだ。娘の帰りが遅く、夫と私だけではどうなっていただろう。
泣き入りけいれんではないが、娘が初めて熱性けいれんを起こしたのは、一歳半の時だった。当時は広瀬に住んでいて、道を挟んだ向かい側に小児科があり、風邪をひいて熱を出した娘を診てもらいに行った時だ。トイレに連れて行き、膝を抱えて小用をさせていると、腕にずしりと重さを感じた。娘の顔を覗くと、目がうつろになり涎を垂らしている。慌てて診察室に飛び込み看護師さんに診てもらうと、「けいれんですね」とこともなげに言われた。初めてだったのでおろおろしたが、医院の中だったので助かった。
今回はあの時以上のドキドキだ。あのまま息を吐かなければ…考えるだけで胸が苦しくなる。娘の腕の中で紫色の顔をしたまま目を閉じている宗矢の回復を見守るしかなかった。