専業ババ奮闘記その2 義母の異変⑥
8月も終盤だというのに、36度を超える日が6日も続いた。37度を超える日もあり、いい加減にしてくれという思いだ。義母が家にいると、ドンドンドンと度々お呼びがかかる。「暑ていけん」「開けてください」「トイレ」「寒いです」「熱がある」その度に部屋に行くので、点訳ははかどらない。けれども、暑さを忘れさせてくれる。
9月に入り、3度目の泌尿器科受診をした。抗生物質をずっと続けるわけにはいかないので、漢方薬に変えましょうと、2週間分渡された。帰ってから、「暑い」「寒い」「トイレ」「暑い」「寒い」と短い時は五分も経たずに呼ばれる。呼んだことを忘れるのだろうか。その前の日から左脚の動きが悪く、トイレに連れて行くこと自体が大仕事だ。椅子から立ち上がることも、車椅子に移動するのもなかなかで、補助しようと腕や脚に手を掛けると痛がる。自力での移動を見守っていると、何十分もかかる。そのうち、「あ、出た」となってしまう。
その日は娘が歯科に行く間、宗矢を預かることになっていたので、訳を話し、娘にトイレ介助を実際にやってみせてもらった。義母を部屋に送った後、「まだ介護認定申請してないの。二なんかじゃないよ、絶対四はいってるよ」と娘は言って、歯科へ向かった。
宗矢は私を見ると、両腕を伸ばし、抱っこをせがむ。抱いて歌を歌ってやると、腕の中で眠った。寛大も実歩もこうして寝かせたものだ。この寝顔を見ていると、けいれんを起こすほど大泣きする姿を見たことがないので、どんな風になるのか想像がつかない。宗矢が眠っている間、寛大や実歩が来るまでにと夕食の下ごしらえをしていると、ドンドンドン。娘がしていた通りに補助しようとするが、うまくいかない。自力で車椅子まで移動するのを待ち、何とかトイレまで連れては来たが、車椅子から便座までの移動ができない。一歩がこんなに遠いとは。宗矢が起きやしないかと気が気でない。トイレで立ち往生したままの義母に言った。「もうパンツの中でしてください」
その夜は、娘と3三人の子どもを交え夕食で、義母はひ孫たちを眺めながら食べていた。娘たちが帰り、待てずに手を出したがる夫を制しながら、二人掛かりで何とか義母をベッドに寝かせる。部屋を後にした夫が言った。「介護認定、申請するか。明日電話するわ」