専業ババ奮闘記その2 義母の異変④

 

 毎年お盆前になると、義母は仏壇の周りの掃除をし、市にお供え物を買いに自転車で出かけていた。花の木はもとより、小さいスイカを供え、仏様に供えるお膳も自分で作っていた。家族の食事は基本私が作っていたが、その頃は一人で食べる昼ごはんは自分で用意していたし、たまに煮物を作ってくれていることもあった。

 膝が動きにくくなり、習い事のフォークダンス、コーラス、生け花は、90歳が近づく頃から一つずつ辞めていき、台所に立つこともほとんど無くなっていった。そうなると、お盆のお膳作りは私の仕事となる。これが結構面倒なのだ。小さなお膳の上には、ままごとで使うような漆塗りの器が5種類あり、ご飯、みそ汁、煮物、煮豆、酢の物を作って盛り付けねばならない。煮物は煮たカボチャやナスやニンジン、昆布や高野豆腐などを小さく切り、みそ汁に入れる豆腐や酢の物にするキュウリなどもミニサイズにしなければならなかった。しかも、それを13日から3日間続けるのだ。仏壇に団子と共に乗せると、義母は箸を使って食べさせる真似をする。それが終わると、膳を下げに行った。

 しかし、車椅子生活になってから、毎朝晩やっていた勤行も、していないのに、「もうしました」と言う日が出てきたかと思うと、そのうち部屋の椅子に座ったまま、「ここからでいいわ」と、仏壇の前まで行かず手を合わせるようになった。そこで、「お盆のお供えは、団子と盆菓子とスイカでいいですか」と聞いてみると、「それでたくさん」と言われる。仏壇には菓子と、畑でできた小ぶりなスイカを乗せ、団子だけは3日間供えることにした。

 13日は団子を供え、義母をデイサービスに送ってから、松江の公園墓地、出雲は親戚の墓も含めて四箇所の墓参り。

 翌14日の午後、義姉と姪二人がやってきたので、眠っていた義母を起こす。2時間ほど皆と話しているうちに、義母はこくりこくり。3人が帰っても、椅子にもたれて眠っていた。夕食が終わると、「もう寝ます」と言われるので、「こんなに早く寝たら、夜中に目が覚めますよ」と言うが、すでに目を閉じているので、トイレに連れて行き、着替えさせてベッドに横になってもらう。それから2時間後、ドンドンドン。「眠れません」。だから、言ったのに。