専業ババ奮闘記その2 義母の異変②

  

「突貫婦人って言われてね」と、義母からよく聞かされた。皮膚科に治療に通っていた時、医者の指示以上のことをして早めに治したので、そう言われたらしい。年をとっても頑張り屋で、膝が痛くて引きずりながらも、「歩かんといよいよ歩けんやになるけん」と、手すりを支えに、すり足でゆっくりと歩いていた。そんな義母も、百歳が近づくと、「トイレまでが遠くてね。何とかならんもんだらか」と言い出した。ベッドの横にポータブルトイレを据えてみたが、そこにたどり着くまでに漏らしてしまうことが何度かあり、引き上げた。

圧迫骨折をし、車椅子で移動するようになると、さらに脚力は弱ってくる。回復して歩き出しても時間がかかるため、途中でしくじることも出てきて、「間に合わんといけんけん、椅子で運んでもらうか」と言うことが多くなった。以前、夫が片腕を支えていたにもかかわらず、いきなり膝ががくっときて転倒したこともある。股関節でも折れたら大変だ。用を足したくなったら襖を叩いて合図するようにお願いした。日中は寝ていることが多くなり、時間を見ては部屋を覗き、「トイレはいいですか」と聞く。「行っちょくかね」と言われれば、車椅子で連れて行った。大概はこちらが声を掛けるが、三十分おきにドンドンが鳴り、車椅子でトイレに運ぶという日もあった。

夜は、「紙おむつの中でしてください。寝たきりの人は皆さんオムツの中でしておられますから」とお願いした。ところが、それにはなかなか慣れることができなかった。どうしてもオムツを外してしまう。オムツの周りをガムテープでぐるぐる巻きにしても、ガムテープごと外す。ベルトを買ってきて留めてもだめだった。シーツは洗えば済むことだが、夜中のドンドンは堪らない。本人は目が覚めた時が朝だと思っているので、悪気はない。しかも、用があったら、襖を叩いてくださいと言ったのは私だ。

そして、朝になると、脱いである時は片づけをし、「トイレはどうします」と聞いて、行くと言われれば連れて行き、着替えをさせ、汚れ物があれば洗濯機へという毎日。ところが、八月に入って、あれっと思うことがあった。パットの一部がピンクに染まっているのだ。