ニュース日記 802 これからの戦争

 

30代フリーター やあ、ジイさん。アフガニスタンから敗走したあとのバイデンの国連演説を朝日新聞は「政権発足以来、最も厳しい局面を迎える中で行われ、挽回を目指すもの」と報じていた(9月22日朝刊)。

年金生活者 演説は熱い戦争、リアルな戦争の余地が今後いっそう縮小し、世界規模の戦争だけでなく、局地戦さえも冷たい戦争、バーチャルな戦争に転化していくことを示すものとなった。

 「我々は絶え間なき戦争の期間を終え、絶え間なき外交という新たな時代の幕を開いている」。バイデンのこの宣言の中にある「絶え間なき戦争」が東西冷戦後に相次いだ熱くリアルな局地戦、すなわち湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などを指しているとすれば、「絶え間なき外交」とは今後いっそう広がる冷たくバーチャルな戦争を指していると言うことができる。

 彼は念を押すように「米国の軍事力行使は最後の手段であり、最初であってはならない」と語っている。東西冷戦を境に世界規模の熱くリアルな戦争が不可能となり、これまでベトナム戦争に代表される局地戦がその代替として行なわれる時代が続いた。それももうこれからは終わりにして、局地戦も冷たくバーチャルな戦争にしてしまおうというのがバイデンのメッセージだ。

 戦争の冷温化、バーチャル化は軍備を不要にはしない。むしろ絶えざる軍備の更新を迫る。抑止力を競う戦いなので、力の均衡にほころびが生じないように常に神経をとがらせなければならない。その経済的な負担はかつての熱い世界戦争以上のはずだ。もし中国との対立が「新冷戦」にエスカレートするようなことがあれば、その負担は耐えがたいほどに増えるだろう。だからバイデンは演説で「我々は新冷戦や、世界を二つのブロックに分けることを望んではいない」とことわるのを忘れなかった。

30代 アフガニスタンでの敗北の正当化にも聞こえる。

年金 9・11後のアフガニスタン戦争、イラク戦争のほとんど唯一といっていい成果は、アメリカの戦争遂行能力を著しく低下させたことだ。日本人にとって太平洋戦争のほとんど唯一の成果が日本の戦争遂行能力を封じ込めた新憲法だったように。

 自国の戦争遂行能力の低下を自覚し、それに合わせて従来の外交を一変させたのがトランプだった。北朝鮮とは戦火を交える代わりに同国を事実上の核保有国と認める取引をして、核実験や長距離弾道ミサイルの発射実験をやめさせ、東アジアの緊張を緩めた。中国と華々しく対立して見せたのは、同国を戦争の相手ではなく、取引と競争の相手とするという宣言だった。それをバイデンも引き継いだ。

 アメリカの戦争遂行能力の低下は、地域によっては不安定化の要因になる一方で、長期的にはそれを上回る世界の安定化に寄与するだろう。テロの減少も含めて。

30代 バイデン政権は中国に対抗して英豪とAUKUSと名づけた軍事同盟を結び、豪の原子力潜水艦の開発の支援を表明するなど戦う気満々にも見える。

年金 アメリカが高性能の武器をそろえ、ときには同盟国に提供するのは、実際にそれを使いたい、使わせたいからではなく、使わなくて済むようにしたいからだ。

 現在の世界では、熱い戦争を避けるために、軍備を増強して冷たい戦争を繰り広げるという逆説的な事態が常態化している。言い換えれば、アメリカがこの20年間に励んできた軍備の拡張は、熱い戦争をする気力の衰えをあらわしてる。

 それは国民の厭戦気分の広がりと言い換えることもできる。アメリカABCテレビとワシントン・ポストの最近の世論調査では、アフガニスタンからの軍の撤退を支持する割合は77%にのぼっている。ナポレオンが実証したように、国民が国家を自分たちのものと考える民主制の国家は戦争に強い。そのぶん国民の戦意が失われたとたんに弱くなる。

30代 それでも中国は台湾の武力統一に踏み切るのではないか、尖閣諸島に軍隊を上陸させるのではないか、といった懸念は消えず、アメリカは戦う用意を捨てたわけではないだろう。

年金 たしかに中国は台湾の武力統一を否定したことはない。しかし、それは台湾への侵攻を実行に移そうとしていることを意味しない。武力統一を否定しないこと自体が、対アメリカ、対台湾のバーチャルな戦争の作戦行動をなしている。それは熱い戦争、リアルな戦争の代替行為であり、実際の武力侵攻を回避するためのものと考えることができる。

 中国が尖閣諸島の周辺に執拗に海警局の公船を送り込んでくるのは、島と周辺海域の実効支配を実現するためのステップではなく、いわば「エア実効支配」「バーチャル実効支配」であり、リアルな実効支配の代替行為と考えることができる。これもまた対日本の冷たい戦争、バーチャルな戦争の一環をなしている。

 そう考えると、偶発的な衝突以外に意図的な衝突が引き起こされる可能性は限りなくゼロに近いと言わなければならない。ただし、そう言えるのは、意図的な衝突への懸念が常に存在しているからであり、そこに冷たい戦争、バーチャルな戦争の矛盾がある。